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松本典久「山手線各駅停車」

日本初の駅・品川駅の秘密…日本全国の鉄道発展の一大拠点

文=松本典久/鉄道ジャーナリスト
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「一等地」の再開発

 こうして品川駅周辺は、車両基地などに使用される広大な鉄道用地を擁することになった。しかし、鉄道運行の効率化によって鉄道用地の一部が余剰となってきた。それは駅に隣接した一等地であり、これを活用する再開発が始まったのだ。

 現在、品川駅東側に隣接して「品川インターシティ」の高層ビル街が連なっているが、これはかつての鉄道用地を再開発してつくられたものだ。

 品川の貨車操車場は新鶴見に移行したが、品川駅発着の貨物取り扱いは国鉄晩年の1980年(昭和55年)まで続いた。その業務は品川駅東側で行われていたが、貨物営業終了でここが余剰地となったのだ。国鉄民営化後の1990年(平成2年)から「品川駅東口地区再開発」として事業が進められ、1992年(平成4年)には都市計画決定、大半が1998年(平成10年)までに竣工している。

 これは国鉄晩年の貨物輸送再編によって実現した再開発だったが、新たに品川~田町間にある車両基地を再編することで新たな再開発も始まっている。この車両基地は、近年はJR東日本の田町車両センターとして特急「スーパービュー踊り子」「踊り子」をはじめ、東海道線で運転される電車を配置・管理する機能を担っていた。この車両配置を大宮総合車両センターや国府津車両センターなどに分散、当基地の機能を東海道線や上野東京ラインなどで運転される電車の留置に縮小したのである。この改編により2013年(平成25年)には名称も東京総合車両センター所属の田町センターとされた。

日本の成長を牽引する拠点へ変貌

 こうして生み出された用地は約13ヘクタールとなった。明治~大正期の埋立てによってつくられた用地の約半分に当たるものだ。ここで行われる再開発事業は「グローバル ゲートウェイ 品川」として世界中の企業や人材が集う街づくりをめざすものだ。東京都も「品川駅・田町駅周辺まちづくりガイドライン2014」を策定、大手町・丸の内・有楽町に並ぶ拠点とする構想を打ち立て、「これからの日本の成長を牽引する拠点」として期待が集まっている。

 品川駅に隣接した場所とはいっても、品川~田町間の距離は2.2キロ。じつは山手線でもっとも駅間のある場所だ。再開発エリアの中心に新しい街の玄関口として新駅を設置する工事も始まっている。現在、用地の中央で巨大な構造物が姿を現しつつあるが、これが新駅だ。ちなみに新駅は東京オリンピックの開催される2020年に暫定開業され、街づくりを加速させる狙いだ。

 じつはこの事業で“品川名物”がひとつ消えそうだ。それは車両基地の東西を結ぶ「高輪橋架道橋」である。架道橋の名の通り、山手線や東海道線などの下をくぐり抜けるものだ。ちょうど車両基地を横断する形で、全長は230mもあるが、高さはなんと1.5mしかない。背の高い人なら屈まないと歩けない高さ、タクシーの表示灯が天井に当たって壊れたという話も多い。掘り下げて高さを確保しろという要望も多かったが、ここはかつて水路となっていたものを改修して設置された通路で、通路下には下水の本管が通じている。これ以上の掘り下げができず、今日まで推移してきたのである。

 ちなみに再開発事業では「第二東西連絡道路」として高さ約4.5mを確保した2車線の道路になる予定だ。

 こうして大きく変貌しつつある品川駅界隈。どのような街に進化していくのか、期待しながら見守っていきたい。
(文=松本典久/鉄道ジャーナリスト)

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松本典久/鉄道ジャーナリスト

松本典久/鉄道ジャーナリスト

1955年、東京生まれ。出版社勤務を経て、1982年からフリー。鉄道や旅をテーマとして、『鉄道ファン』『にっぽん列島鉄道紀行』などにルポを発表するかたわら、鉄道趣味書の編集にあたる。
著書に『消えゆく「国鉄特急」図鑑』(共著、2001年)、『SLが走る名風景』(共著、2001年)がある。

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