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松本典久「山手線各駅停車」

上野駅、上下3層の不思議な構造の秘密…なぜ東京の玄関口に?巨大駅の135年の歴史

文=松本典久/鉄道ジャーナリスト
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上野駅、上下3層の不思議な構造の秘密…なぜ東京の玄関口に?巨大駅の135年の歴史の画像1上野駅

 上野駅は首都圏にあるターミナル駅のひとつだ。東北・上越・長野といった新幹線ネットワークの整備、さらに2015年の上野東京ラインの完成によってその位置付けは変わってきたが、長らく東京の北の玄関口となってきた。

 上野駅の特徴のひとつは、こうした列車の発着に合わせて高架・地上・地下と3層に展開する複雑な駅の構造だろう。ここにはターミナル駅として設置され、のちに山手線をはじめとする首都圏の都市交通に組み込まれた歴史が見て取れる。さらに台地の縁に設けられた地形的な条件もあり、数多くある出入り口も立体的な構成だ。これにより上野駅は、首都圏のほかの駅には見られない独特な旅情を持った駅となっている。

 上野駅の歴史は古く、明治の鉄道黎明期に始まる。

 当時、政府は新橋~横浜間の鉄道に続く鉄道建設を計画していたが、財政面などの問題もあり進捗は滞っていた。そこで民間会社による鉄道建設が提案され、岩倉具視らを発起人とする日本鉄道株式会社が創立する。同社は東京~高崎間、さらには東京~青森間などの鉄道建設を計画、1882(明治15)年に着工へと進んだ。

 当初、東京側の起点は品川として新橋~横浜間の鉄道に連絡させる目論見だった。これは現在の山手・赤羽線に相当するルートだが、ここは地形が複雑で工期も長くなるため、まずは東京の北部にターミナルを設けることで開業を急ぐことになった。のちに“鉄道の父”として顕彰される井上勝が工事を担当、現在の上野駅の場所を選んだとされている。

 工事は順調に進み、83(明治16)年7月28日には上野~熊谷間を一気に開業、上野駅が産声を上げた。

 ちなみに日本鉄道は、その後、現在の東北線、高崎線、常磐線、山手線、赤羽線に相当する区間を次々と開業させ、その営業距離は1300キロ以上に及んだ。1906(明治39)年の「鉄道国有法」によって、同社は国に買収され、これらの路線は国鉄線となり、さらに現在はJR東日本に引き継がれているのである。

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複雑な構造の由来

 こうした歴史的な背景が、現在の上野駅のターミナルとしての機能にも大きな影響を与えている。

 まず、大正時代に入ると、山手線を電車運転の環状線とすべく整備が進められた。この電車線は高架で建設され、その中間駅のひとつとして上野駅のホームが用意された。これによって上野駅は当初から設置されていた行き止まり式の地平ホームと2層構造の駅になった。

 23(大正12)年の関東大震災で上野駅は駅舎を焼失、しばらく仮駅舎による営業が続く。この年から山手線最後の区間となる上野~東京間の整備も進められ、これは震災から2年後の25(大正14)年に完成、環状運転が始まった。

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松本典久/鉄道ジャーナリスト

松本典久/鉄道ジャーナリスト

1955年、東京生まれ。出版社勤務を経て、1982年からフリー。鉄道や旅をテーマとして、『鉄道ファン』『にっぽん列島鉄道紀行』などにルポを発表するかたわら、鉄道趣味書の編集にあたる。
著書に『消えゆく「国鉄特急」図鑑』(共著、2001年)、『SLが走る名風景』(共著、2001年)がある。

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