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江川紹子の「事件ウオッチ」第119回

考察【落合陽一×古市憲寿対談】…命と人権が経済的に語られるようになった時代への違和感

文=江川紹子/ジャーナリスト
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考察【落合陽一×古市憲寿対談】…命と人権が経済的に語られるようになった時代への違和感の画像1「文學界」2019年1月号(文藝春秋)

 年末年始、インターネット上でもメディアアーティストの落合陽一氏と社会学者の古市憲寿氏が対談で、社会保障費削減のため、高齢者の「最後の1カ月の延命治療」をやめるなど、コスト削減という視点で終末期医療や安楽死が論議されていたことが、相当話題になっていた。この問題は誰にとっても他人事ではなく、私も対談を読んでみた。こういう議論が出てくるのはなぜかを考えてみると、まさに「平成」という時代の一面が見えてくるように思える。

落合×古市対談への批判と違和感

 対談は、文芸誌「文学界」(文藝春秋)に掲載された「もうすぐ平成が終わる。次に来るのは、どんな時代?」をテーマに行われたもの。12月26日付朝日新聞文化・文芸面に掲載された小説家の磯崎憲一郎氏の文芸時評で酷評されたことがきっかけで、話題になった。

 さらに年明けに、文藝春秋社が文春オンラインで、この対談を無料公開(ただし、批判を受けてか、発言を雑誌とは一部変えてある)したこともあり、多くの人の目に触れ、議論が盛り上がった。

 批判が集中したのは、主に次の2つの発言。

古市 財務省の友だちと、社会保障費について細かく検討したことがあるんだけど、別に高齢者の医療費を全部削る必要はないらしい。お金がかかっているのは終末期医療、特に最後の1カ月。だから、高齢者に「10年早く死んでくれ」と言うわけじゃなくて、「最後の1カ月間の延命治療はやめませんか?」と提案すればいい。胃ろうを作ったり、ベッドでただ眠ったり、その1カ月は必要ないんじゃないですか、と。順番を追って説明すれば大したことない話のはずなんだけど、なかなか話が前に進まない。安楽死の話もそう。2010年の朝日新聞による世論調査では、日本人の7割は安楽死に賛成している。それにもかかわらず、政治家や官僚は安楽死の話をしたがらない。

落合 終末期医療の延命治療を保険適用外にするだけで話が終わるような気もするんですけどね(※注:ウェブでは「ある程度効果が出るかもしれない」に修正)。たとえば、災害時のトリアージで、黒いタグをつけられると治療してもらえないでしょう。それと同じように、あといくばくかで死んでしまうほど重度の段階になった人も同様に考える、治療をしてもらえない――というのはさすがに問題なので、コスト負担を上げればある程度解決するんじゃないか。延命治療をして欲しい人は自分でお金を払えばいいし、子供世代が延命を望むなら子供世代が払えばいい。

 この2つの発言ばかりがクローズアップされ、「えらそーなのは態度と口調だけで、語っている中身はペラッペラ」「根っこにあるのはエリート主義と差別主義」(以上、「リテラ」より)など罵倒されているのは、いささか気の毒だし、こうした批判は必ずしも的を射ていないような気がする。

 たとえば、同じ対談の中で、落合氏はこうも語っている。

落合 僕が今、国プロ(※注:国が支援するプロジェクト)でやっているのは、視覚や聴覚に障害がある場合に、認知機能をコンピューターで埋めていく研究。(中略)もし人間の処理能力に差があったとしても、機械によって差を埋められる状況を作ればいい。

落合 認知症になってもITで普通に暮らすことができる、何とか頑張って、あと10年でそこに着地したいんですよね。

 こうした発言からは、テクノロジーを進化させ、人手不足や高齢化した社会の中でも、人びとができる限り快適に、そして人間らしく生活できるようにしたい、という意気込みが感じられる。その物言いが「えらそー」に感じられるのか、「その心意気やよし」と受け止めるのかは、利き手の受け止め方次第だろう。

 その上で言うのだが、私も2人の発言には強い違和感を覚えた。

 特に、先の古市氏の発言は、人の生と死についての見方が、あまりに浅薄で画一的で、その多様性や人知が及ばぬ不可思議さについて考えが及ばないのには驚くばかりだ。

彼らを「コスト削減」に駆り立てているのは

 
「最後の1カ月」は、多くの場合、結果としてそうなるのであって、あらゆる患者が一定のパターンに従って死ぬわけではない。

 私事になるが、私の父は、食欲不振が続き、検査のために入院した病院で誤嚥性肺炎を起こし、意識不明となった。いくつかの抗生物質が投与されたが、甲斐なく死亡。入院から1カ月と10日のことだった。

 それまで元気だった父が急に食べられなくなったので、何か原因があるはずだと思ったが、検査した限りでは、特別の病気はみつからなかった。今考えれば、老衰だったのかもしれない。ならば、入院させるより自宅でもっと自然に逝けるようにしてあげればよかった、という悔いは、私自身の中にずっとある。

 しかし、こういう展開は入院前にはまったく予想していなかった。肺炎を起こした後のいくつもの治療は、今となっては「延命治療」にしか見えないだろうが、私は薬が効く可能性にかけたし、医師も救命しようと尽力した。

 余命宣告にしても、過去の症例から見た経験値であって、だいたいの目安にすぎない。医者の見立てより長生きする例はいくつも聞くし、その逆もあるだろう。

 オウム真理教が引き起こした地下鉄サリン事件の実行犯の1人である林郁夫は、以前は心臓外科医だった。多くの患者の死に直面し、「手術は成功したはずの患者さんが亡くなってしまう。その一方で、心筋梗塞を起こしていて助からないだろうと思っていた患者さんが助かる。人の生き死には、人間の計らい以上に大きなものがある」と感じ、それがオウムに入る一因にもなった。

 今は、当時から飛躍的に医療技術は進化したとはいえ、人間の生と死には、誰もに当てはまる物差しというものはない。

 それにもかかわらず、社会保障費削減の話から、医療費増加は終末医療のせいだということになり、一足飛びに「最後の1カ月の延命治療」をやめようという提案になるのは、あまりに乱暴だ。ましていわんや、コスト削減の延長で安楽死を語ろうというのは、不適切の極みと思う。

江川紹子/ジャーナリスト

江川紹子/ジャーナリスト

東京都出身。神奈川新聞社会部記者を経て、フリーランスに。著書に『魂の虜囚 オウム事件はなぜ起きたか』『人を助ける仕事』『勇気ってなんだろう』ほか。『「歴史認識」とは何か - 対立の構図を超えて』(著者・大沼保昭)では聞き手を務めている。クラシック音楽への造詣も深い。


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