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『いだてん』“五輪後”が不自然なのはピエール瀧が原因?志ん生の物語に号泣する人続出

文=吉川織部/ドラマウォッチャー
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 NHK大河ドラマ『いだてん』の第14話が14日に放送され、平均視聴率は前回から1.1ポイント増の9.6%(ビデオリサーチ調べ、関東地区)だったことがわかった。前週が統一地方選挙開票速報で流れたため2週間ぶりの放送となり、視聴者離れも心配されたが、どうやらその影響はなかったようだ。

 金栗四三(中村勘九郎)と三島弥彦(生田斗真)が、日本人として初めてオリンピックに挑む様子を描いた「ストックホルム編」は前回で終わり、第14話ではいよいよ四三らが日本に帰還した。出迎えた師範学校の仲間たちは皆優しく、無念な結果に終わった四三も元気を取り戻す。

 ところが、師範学校の教授・永井道明(杉本哲太)の弟子であるという女教師・二階堂トクヨ(寺島しのぶ)だけは空気を読まずに四三を責め立てる。トクヨに悪気はなく、敗因をしっかり分析して今後に生かすべきだという趣旨で発言しているのだが、四三はすっかり圧倒されてしまった。

 この展開は悪くないのだが、劇中で四三に向けられた批判の声はこれだけ。日本中が四三に期待していたのだから、本当ならもっと失望の声を浴びせられたり、冷たい視線を向けられたりしてもおかしくない。むしろ、そうした描写があったほうが、現代に通じる風刺性があって良かったように思う。

 だが、「期待に応えられなかった四三を国民がどのように迎えたか」という、そこそこ重要なエピソードは、師範学校の中だけで完結してしまった。これは作劇としておかしい。もしかしたら、本来の脚本には、四三が足袋屋にお礼を兼ねたあいさつに出向き、そこでなんらかの世間の声を耳にする展開があったのかもしれない。四三はストックホルムから足袋の追加注文までしたのだから、帰国してからなんのお礼もしないのは不自然だからだ。もし本当に登場人物をカットしたせいで物語幅が狭まってしまったのだとしたら、残念でならない。

 四三がオリンピックに行っている間に、日本ではさまざまな変化が起きていた。時代は明治から大正に変わり、天皇崩御に伴う自粛ムードが続いていた。スポーツ振興に尽力してきた嘉納治五郎(役所広司)の影響力は弱まり、彼が興した大日本体育協会は実質的に乗っ取られてしまった。

 この『いだてん』は、「日本もオリンピックに参加したい」という嘉納の熱意から始まった物語であるため、嘉納の失脚は一大事である。四三がマラソンの道に進んだのも、嘉納がいたからである。物語の根幹を揺るがすようなこの変化が今後のストーリーにどんな影響を与えるのか、興味深い。

 一方、四三とその周囲の変化を描くのと並行して、このドラマの語り手である古今亭志ん生の若き日の物語も進展した。後に志ん生となる美濃部孝蔵(森山未來)の天賦の才を見抜いた橘家円喬(松尾スズキ)は旅回りに出る三遊亭小円朝に彼を託し、「これからはこのお方がお前の師匠だ」と言って別れた。史実の円喬は大正元年でこの世を去っており、ドラマ上でもこれが円喬と孝蔵の今生の別れになるのではないかと推測する視聴者は少なくない。

 こんな高価なものは受け取れない、と遠慮する孝蔵に「いいから持っていきやがれ!」と煙草の箱を投げつけ、「ちゃんと勉強すんだよ」とつぶやいて背を向けた円喬。こみ上げる涙を、師匠の後ろ姿にツッコミを入れることでぐっとこらえた孝蔵。芸達者2人が繰り広げる別れの場面に、視聴者からは「さりげなく深い円喬の師匠愛に泣かされた」「師弟愛にうるうるきた」「松尾スズキさんと森山未來さんのお芝居サイコーすぎる」「粋で色気がある松尾スズキをもっと見たかった」といった称賛の声が上がった。

 筆者も同感だし、「もったいない」とすら感じた。素晴らしすぎて、ドラマのサブストーリーとしてやるにはもったいなさすぎる。志ん生にまつわる部分だけを独立させて、『昭和元禄落語心中』を放送した金曜22時枠などで放送すれば、宮藤官九郎も思い切りやれただろうし、視聴者も毎回「マラソンに関係ない落語の話をねじ込むな」とイライラすることもなく、双方丸く収まっただろうにと思えてならない。
(文=吉川織部/ドラマウォッチャー)

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