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台風災害でお金がおりないこともあるので要注意!「水害」をカバーする「火災保険」の歴史

文=菊地浩之
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2019年10月12日から14日の三連休にかけて日本各地に甚大な被害をもたらした台風19号。写真は、千曲川(信濃川)が決壊した長野県長野市内の様子。(写真:AP/アフロ)

 2019年10月12、13日に東日本に上陸した台風19号は、長野県、東京都、埼玉県、神奈川県、栃木県、茨城県、宮城県、福島県などで河川の氾濫・決壊を招き、各地に甚大な被害をもたらした。テレビ中継では、広大な範囲にわたる家屋の水没を報じており、被災者の悲嘆の声はSNSなどでも飛び交っている。

 今後、そうした被災者が再び日常を取り戻すにあたって助けのひとつとなるのが、保険である。「これ、みんな保険金おりるのかな」と心配になる一方で、「保険金を出すほうの保険会社の経営は大丈夫なんだろうか」とも考えたりする。

 ドライブ中の事故は自動車保険、家が燃えたら火災保険、では水害は? 水害保険ってないし……。そう、意外に知られていないが、水害でこうむった損害を担保するのも、火災保険なのだ。もっとも、火災保険のすべてが水害による被害をカバーしているわけではない。ちょうど、地震保険を付帯していない火災保険では、地震発生にともなう火災で保険金がおりないのと同じ理屈だ。

意外に面倒な保険会社の“社名”

 保険には大きく分けて生命保険と損害保険があり、人の生命に関わる保険(第一分野)が生命保険で、それ以外(第二分野)が損害保険だ。病気などのグレーな部分は「保険の第三分野」と呼ばれる(Aflacが販売しているガン保険などはその典型であろう)。

 日本における近代的な損害保険は、海上保険と火災保険から始まった。最初は単品で販売していたが、多角化して相互に侵食し、やがて多くの損害保険会社が海上保険と火災保険を両方販売するようになった。たとえば、東京海上保険が火災保険を売りはじめて東京海上火災保険(現・東京海上日動火災保険)と社名変更したような感じだ。

 実はこのように、損害保険会社は主力商品を社名にすることが法的に決められている。つい20年くらい前までは、日本の損害保険会社の社名は「〇〇海上火災保険」もしくは「××火災海上保険」 がほとんどだった。前者は財閥系3社(三井海上火災保険、住友海上火災保険、三菱系の東京海上火災保険)、残りは後者だった。

 ところが、2000年頃に損害保険会社の多くが合併再編して新たな社名を決めるとなった場合、各社はハタと困ってしまった。その頃はもう損害保険会社にとっての主力商品は自動車保険となっていたので、「△△自動車保険」という社名になってしまう。

「おとなの自動車保険」をキャッチコピーにしている、セゾン自動車火災保険のような律儀な会社もあるのだが、どうも抵抗感が強い。そこで、「△△損害保険」という社名が流行した。あいおいニッセイ同和損害保険、損害保険ジャパン日本興亜(2020年4月に損害保険ジャパンに改称予定)などがそれである。

 ちなみに正式名称は損害保険ジャパンであって、損保ジャパンではない。あれは略称である。主力商品を社名にすることが法的に決められているので、「損害保険」であって、「損保」じゃダメなのだ。ただし、持株会社のSOMPOホールディングスや子会社の損保ジャパン日本興亜ひまわり生命保険は他業態なので問題ない。意外に面倒なのである。

住宅火災保険と住宅総合保険

 話がかなりそれたが、当初の火災保険は工場や施設、大型建築物などが対象で、現在のように一般住宅を対象にはしていなかったようだ。火災保険の中でもっとも一般的な商品と思われる「普通火災保険」は、一般物件、工場物件、倉庫物件に大別される。これを見てわかるように、庶民の住宅を対象としているとはあまり思えない。

 しかしそれは損害保険会社が悪いのではなく、そもそも庶民の住宅事情が良くなかったのだ。江戸時代は火事(というか大火)が多かった。「火事と喧嘩は江戸の華」である。「江戸っ子は宵越しの金を持たない」という言葉も、江戸っ子の気っぷのよさを表すとともに、しょっちゅう火事が起こってすべてがパーになるから、蓄財していても仕方ない……という諦観の意味もあったらしい。火事が起きることを前提に生きている庶民に、火災保険に入ろうなどという殊勝な意識はなかなか芽生えにくいだろう。

 ところが、明治・大正・昭和へと時代が流れてくると圧倒的に大火事が減り、住宅事情も向上してくる。庶民(よりは少々上のクラス)が火災保険に入ろうという気運が盛り上がってきたのだが、今度は火災保険のほうがそうした庶民のニーズに合っていない。やっと、住宅専門の火災保険「住宅総合保険」が生まれるのは、戦後の1961年のことだった。そして1973年に、より廉価な「住宅火災保険」が誕生した。

 住宅火災保険と住宅総合保険の何が違うのかというと、住宅総合保険のほうが担保する損害の範囲が広い。たとえば、台風などによる風災の被害には両方の保険で担保できるが、水災(水害)は住宅火災保険では担保しない。つまり、住宅火災保険だけに入っていては、水災による保険金はおりないのだ。

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Getty Imagesより

アメリカの外圧で保険の自由化

 話が面倒なのは、現在、住宅火災保険も住宅総合保険を販売していない損害保険会社が少なくないことだ。

 損害保険は、販売(契約締結)時に収支がわからない特殊な商品である。何件かの契約には事故が起こって多額の保険金支払いが発生する一方、多くの契約には何もなく満期を迎えてしまう。後のことを考えなければ、販売時に採算度外視で幾らでも保険料を安くできるのだ。

 そういった事情で、戦前はダンピング競争が相次ぎ、結果として損害保険会社の経営を悪化させ、何社かがつぶれていった。そこで、損害保険業界ではダンピングを防ぐべく、業界で保険料を決める機構を設けて、統一料金とすることにしたのだ。

 ところが、1989年に当時のブッシュ大統領(パパブッシュ)と宇野宗佑首相との日米首脳会談をきっかけに開始された日米構造協議で、損害保険業界の統一料金が問題になった。簡単にいってしまえば日米構造協議とは、アメリカの対日貿易赤字を解消するために、(アメリカにとって都合のよいように)日本の規制緩和を進めましょうということである。

 先述した「おとなの自動車保険」は、若者より中高年のほうが安心運転で事故が少ないという統計的なアプローチから、中高年の保険料をお安くしますよという保険だ。これをリスク細分型保険という。契約者の属性を細かく分類して保険料を決めていこうという、今では当たり前の仕組みだが、業界統一料金の頃は実現できなかった。その頃のアメリカではすでにリスク細分型保険全盛でノウハウもあり、日本でも売れるという自信もあったのだが、業界統一料金の日本では売ることができない。

 かくしてアメリカの圧力で、1997年に損害保険業界の統一料金システムが撤廃され、各社が自由に商品設計することが可能となった。そこで、住宅火災保険や住宅総合保険を廃止して自社独自の商品を開発・販売し、他社との差別化を図る損害保険会社が増えてきた。

 それゆえ、個々の会社が販売する火災保険の中には、水災を担保しないことで保険料を安くしたり、オプションとして「付けたい方は付けられますよ」という姿勢にしているところもある。それは各社の商品戦略なので、一概に良し悪しは決められない。

 しかし、かつては経験しなかったような自然災害のリスクが増えている昨今にあって、消費者としては、しっかり見極めて契約することが重要になっていくだろう(かくいう筆者も、実際にはあまり考えずに契約してしまっているのだが……)。

 ちなみに、保険の新規商品開発には、それにともなう膨大なシステム開発費用がかかる。損害保険各社は企業体力を増強するために、大規模な合併再編の必要に迫られた。つまり、損害保険業界の統一料金システムが撤廃されたことが、損害保険業界のメガ再編の引き金になったのだ。そしてそれにともない、合併した後にどういう社名にするのかという、新たな悩ましい問題も生まれたのである。

(文=菊地浩之)

菊地浩之

菊地浩之

1963年、北海道札幌市に生まれる。小学6年生の時に「系図マニア」となり、勉強そっちのけで系図に没頭。1982年に國學院大學経済学部に進学、歴史系サークルに入り浸る。1986年に同大同学部を卒業、ソフトウェア会社に入社。2005年、『企業集団の形成と解体』で國學院大學から経済学博士号を授与される。著者に、『日本の15大財閥 現代企業のルーツをひもとく』(平凡社新書、2009年)、『三井・三菱・住友・芙蓉・三和・一勧 日本の六大企業集団』(角川選書、2017年)、『織田家臣団の系図』(角川新書、2019年)、『日本のエリート家系 100家の系図を繋げてみました』(パブリック・ブレイン、2021年)など多数。

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