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藤井聡太は本当は笑っていなかった…初タイトルの記者会見で“やらせ”

写真・文=粟野仁雄/ジャーナリスト
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藤井聡太棋聖

 将棋の藤井聡太七段(18)が7月16日に大阪市の関西将棋会館で行われた棋聖戦五番勝負の第4局で渡辺明三冠(36)を破り、3勝1敗でタイトルを奪取。「新」棋聖となった。「実感がないんですけど、とてもうれしく思います」などといつものように控えめに喜びを語った。タイトル奪取の最年少記録だった屋敷伸之九段(48)の18歳6カ月を更新したが、「記録は意識していなかった」も今や恒例の言葉。

 藤井棋聖は現在、木村一基王位(47)と王位戦七番勝負を戦っており、第1局から2連勝して優位に立っている。さらには竜王戦も本戦トーナメントに勝ち上がり、秋に豊島将之二冠(30)に挑戦する可能性がある。年内の三冠達成など、さらなる記録への期待は尽きない。

 さて、藤井は7月19日に18歳の誕生日を迎えた。棋聖戦の第4局で渡辺がタイに持ち込んでいれば、タイトル奪取は最速でも第5局の7月21日となり「18歳と2日」になってしまっていた。やはり17歳と18歳では印象も違う。藤井はタイトル挑戦権獲得の最年少記録を決めた時も、たった4日の差だったのだ。コロナ対策で久しく対局ができず、日本将棋連盟が苦労して決めた日程だったが、そんな期待に応えるところも立派。生まれながらのスターなのだろう。

記者は「リモート質問」

 筆者はタイトルを奪取した対局の翌朝に同会館で行われた記者会見で、「藤井七段は相手が羽生(善治)永世七冠だろうが、渡辺三冠だろうが、格下だろうがコンピューターだろうが、関係なく盤面に集中するだけのような印象ですが、誰が相手でもまったく同じなのでしょうか?」と尋ねた。藤井は「盤上を通じての人とのコミュニケーションでありますし……。相手が指してきた手を見て、こんな手があるのかなと思ったり……。対局者によってはそれぞれいろんな発見があるのかなと思います」と答えていた。おそらく戦略的なことを念頭に答えてくれたのだろう。「精神的には誰が相手でも委縮することもないのですか?」などと訊けばよかったかもしれない。

 とはいえ歴史的瞬間にも立ち会え、本人に質問できたことは光栄だった。会見は限られた時間(20分)で、質問も感染防止のため藤井本人とは別室からパソコンを使った「リモート質問」。主催者の産経新聞社や関西将棋記者会の幹事社などが優先され、質問希望者も殺到したなかでの僥倖だった。対局当日は指名されなかったので翌朝も出かけた。信用薄いフリーランスの筆者を指名してくれた日本将棋連盟の担当者に心から感謝したい。

しつこい「やらせ」

 さて、テレビや新聞で快挙の報道に接した人たちは、にこやかに笑っている藤井を見ただろう。色紙を持ってひとりで応じたり、恩師の杉本昌隆八段と並ぶ笑顔である。しかし本当は、彼は笑ってなどいなかった。すべてカメラマンたちの「やらせ」である。勝利を決めた後、フォトセッションの場に現れたが、カメラマンたちが「笑顔で」「最高の笑顔で」などとしつこく迫るので、仕方なく微笑んでいただけなのだ。

 最初、コロナ感染防止のマスクをしたままで撮影に応じていたが、外しても構わないことが判明。それまでの撮影が無駄になってしまったことがわかった時には少し微笑んだ(報道陣はマスク着用を義務付けられていた)。

 もちろん、藤井は暗い性格ではなく、家族や親しい友達などと談笑したりする時は大いに笑うだろう。棋士仲間と驚くような大笑いをしている映像もテレビで見たことがある。しかし、筆者の取材経験からは、大事な公式戦で勝利した直後に決して笑ったりはしない。

 2日後にも対局が控えていた。クールな彼はすぐに頭を切り替えていたのかもしれない。 筆者はさまざまな取材で執筆と撮影を兼任しているが、いつもカメラマンの「やらせ」を白けた思いで見ている。藤井が喜んでいないはずはないだろうが、それと笑うことは別。快挙にも笑わないところが素晴らしいのであり、「やらせ」はある意味、フェイクニュースなのだ。

近寄りがたい棋士に

 2つのタイトル戦で和服を着るようになったせいか、藤井は最近、急に風格が出てきた。将棋界で「和服姿の風格」といえば、なんといっても大山康晴十五世名人(故人)とライバルの升田幸三名人(同)だ。

 半世紀にわたって将棋の棋士を撮影してきたあるベテランカメラマンが「大山さんは本当にあらゆることに厳しくて、撮ってはいけない位置から撮った写真が出ると、あとで家にまで電話がかかってきて、こってり絞られたよ。『大山先生から電話ですよ』と妻に言われると、ドキッとしていましたよ」と回想していたのを間近で聞いたことがある。

 最近は棋士たちもスマートで社交的な人物が多くなったようだが、いつか藤井には八方美人ではなく大山名人のような「こわもて棋士」、そう、カメラマンに「やらせ」など要求されても断じて応じない、凄みのある近寄りがたい存在になってほしい。

粟野仁雄/ジャーナリスト

粟野仁雄/ジャーナリスト

1956年生まれ。兵庫県西宮市出身。大阪大学文学部西洋史学科卒業。ミノルタカメラ(現コニカミノルタ)を経て、82年から2001年まで共同通信社記者。翌年からフリーランスとなる。社会問題を中心に週刊誌、月刊誌などに執筆。
『サハリンに残されて−領土交渉の谷間に棄てられた残留日本人』『瓦礫の中の群像−阪神大震災 故郷を駆けた記者と被災者の声』『ナホトカ号重油事故−福井県三国の人々とボランティア』『あの日、東海村でなにが起こったか』『そして、遺されたもの−哀悼 尼崎脱線事故』『戦艦大和 最後の乗組員の遺言』『アスベスト禍−国家的不作為のツケ』『「この人、痴漢!」と言われたら』『検察に、殺される』など著書多数。神戸市在住。

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