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TOKIO、V6、Hey!Say!からも…ジャニーズ事務所の無慈悲な人事で消えた8人

文=峯岸あゆみ
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1994年9月にSony Recordsより発売されたTOKIOのデビュー・シングル「LOVE YOU ONLY」。写真左より城島茂、山口達也、長瀬智也、松岡昌宏、国分太一の5名。

 元SMAPの稲垣吾郎、草彅剛、香取慎吾、中居正広、元タッキー&翼の今井翼、元関ジャニ∞の渋谷すばる、錦戸亮、元NEWSの手越祐也らに続き、TOKIOの長瀬智也も2021年3月いっぱいでジャニーズ事務所離れることとなった。グループ最年少の長瀬は、1994年のCDデビュー直前に正式メンバーとしてTOKIOに加入している。それ以前からサポートメンバーのような扱いで関わっていたことから、デビューに際してその将来性が見込まれて正式に加入した……と見ることができる。実際、その後の長瀬は人気面でもTOKIOに大きく貢献していくことになる。

 本稿でクローズアップしたいのは、長瀬と入れ替わるようにTOKIOを去ったメンバーがいる点である。つまり、あと一歩のところで、アイドルの座を、スターのポジションを、または農作業やDIYのスキルをゲットし損ねた人物が存在するのだ。

長瀬智也とほぼ入れ替わりだった幻のTOKIOメンバー

 デビュー直前までTOKIOに在籍しながら、CDリリース前に姿を消したメンバー……名前を小島啓という。小島はもともと、国分太一、松岡昌宏、長瀬智也、坂本昌行、井ノ原快彦らも在籍していた「SMAP学園」というSMAPのバックダンサーの一員だった。その後、TOKIOのメンバーに選ばれてからはボーカルとギターを担当し、NHK-BS2『アイドルオンステージ』にレギュラー出演するなどしていた。

 TOKIOから突然姿を消した小島は、同時に芸能界を離れている。当時、「パイロットを目指すため」という脱退理由も流布したが、その後、彼が実際にパイロットになったか否かは明らかになっていない。

 このように、ジャニーズ事務所の歴史には、一時的にプッシュされた所属タレントが、突然その路線から外れる、グループから消えるというケースがいくつもある。そうした人事が当人の意図によるものだったケースもゼロではないかもしれないが、ジャニー喜多川氏の存命中は、ほとんどが同氏の直感的な判断によるものだったといわれている。

冠番組もあったのに……悲劇のグループ「Ya-Ya-yah」

Hey! Say! JUMP」は、山田涼介、知念侑李、中島裕翔、岡本圭人ら年少メンバーによる「Hey! Say! 7」と、有岡大貴、髙木雄也、伊野尾慧、八乙女光、薮宏太ら年長メンバーによる「Hey! Say! BEST」の2班によって編成されている。

 このうち、藪と八乙女はもともと、「Ya-Ya-yah」というジャニーズJr.内グループに属していた。同グループは当初、薮、赤間直哉、山下翔央、鮎川太陽、星野正樹の5人でスタートし、正式デビューの待遇ではなかったが、2002年には『勇気100%/世界がひとつになるまで』というシングルCDもリリースもしている。また、テレビ東京系で『Ya-Ya-yah』という冠番組を任せられるなど事務所に大プッシュされていた。

 その後、八乙女の加入があり6人編成となるYa-Ya-yahだったが、2004年に赤間と星野がなんの説明もなく姿を消し4人グループに。一方で、同年10月より、薮、八乙女、鮎川がテレビドラマ『3年B組金八先生』 第7シリーズ(TBS系)に生徒役でレギュラー出演。「金八トリオ」と呼ばれた彼ら3人と、山下との格差が広がるという現象もあった。

 Ya-Ya-yahの人気は2005年に横浜アリーナで単独ライブを行うまでに高まっており、ファンは近い将来、彼らの正式CDデビューが発表されることを待ち望んでいた。

 ところが、2007年9月、箱推しのYa-Ya-yahファンの心が引き裂かれるような出来事が起こる。藪と八乙女が新グループ「Hey! Say! JUMP」に加入してデビューすることが発表されるのだ。これは同時に、Ya-Ya-yahのデビューがなくなり、Hey! Say! JUMPに選ばれなかった鮎川と山下がリストラ通告を受けたことを意味していた。

 Hey! Say! JUMP結成発表と前後してテレビ番組『Ya-Ya-yah』は終了し、グループYa-Ya-yahも自然消滅。同時期に鮎川はジャニーズ事務所からも離脱。現在は舞台をメインに俳優活動中だ。一方、山下はその後もジャニーズJr.に残ったが、2010年頃にフェイドアウト。やがて、他事務所で芸能活動をしていたが、近年はそれも途絶えている。

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2002年5月にポニーキャニオンより発売されたYa-Ya-yahのデビューシングル「勇気100%/世界がひとつになるまで」。 写真左より星野正樹、赤間直哉、薮宏太、山下翔央、鮎川太陽。薮宏太は現在Hey! Say! JUMPのメンバーである。

正式発表後、V6から外されたメンバーがいる?

 1995年8月に発売されたアイドル雑誌「Myojo」(集英社)10月号で、フジテレビ系のバレーボール番組のイメージキャラクターとして、ジャニーズ事務所が送り出す6人組の新グループ「V six」の結成が報じられる。誌面には、決定メンバーとして3人の顔写真と、次号で発表されるという残り3人のシルエットが掲載されていた。顔出ししていたのは、坂本昌行、井ノ原快彦、原知宏で、シルエットは、長野博、佐野瑞樹、喜多見英明ではないかとファンは噂した。その6人は当時、「ジャニーズSr.」というグループのメンバー、もしくはサポートメンバーとして、NHK-BS2『アイドルオンステージ』に出演していた面々であり、順当な人選とも考えられた。

 ところが、「Myojo」の翌月号には、新グループ名は「V six」ならぬ「V6」に。正式発表されたメンバーは、前号で“決定メンバー”とされた坂本、井ノ原に加え、長野と、上記3名よりも若い、森田剛、三宅健、岡田准一という計6人だった。つまり、噂された喜多見だけではなく、1度は決定メンバーとして発表された原も外されるという、残酷な結果となったのだ。

 以後V6は、現在に至るまで脱退者を出すことなく、25年以上も活動を続けているグループだが、その陰には、大きなチャンスを掴みそこねた存在がいたのである。

 喜多見はその後、目立った活動がないまま芸能界を去る。ジャニーズ事務所に残った原も、2001年には別事務所に移籍。ソロでCDをリリースしたり、舞台に出演するなどしていたが、2011年に引退を発表した。

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1995年11月にavex traxより発売されたV6のデビューシングル「MUSIC FOR THE PEOPLE」。メンバーは写真上段左より三宅健、岡田准一、写真中段は森田剛、写真下段は坂本昌行、井ノ原快彦、長野博の6名。
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2002年にソニー・ミュージックより発売された『GOLDEN☆BEST/シブがき隊』

ドラマから突然消えた! シブがき隊の幻のメンバー

 さらに歴史を遡ると、シブがき隊の例がある。このグループは、テレビドラマ『2年B組仙八先生』に生徒役で出演していたジャニーズ事務所所属の薬丸裕英、本木雅弘、布川敏和により結成され、1982年5月にレコードデビューしている(当初は「シブがきトリオ」)。

 シブがき隊にも幻のメンバーがいた。実は、『2年B組仙八先生』の出演者にはもう1人、ジャニーズ事務所所属者がおり、その人物も当初は薬丸、本木、布川と一緒に雑誌の表紙を飾るなどしていたのだ。名前を叶屋博基という。

 ところがジャニーズ事務所はある時期から、ほかの3人より1学年若い叶屋のプッシュをストップし、本木、薬丸、布川をトリオとして売り出すことになる。しかも、転校、入院といった劇中の設定ナシに、第24話を最後に『2年B組仙八先生』(全45話)から叶屋の存在が消滅してしまうのだ。原因については諸説あるが、これは大いに謎の残る降板劇だった。

 なお、叶屋はその後、実業家に転向。現在は飲食店などをいくつも経営する成功者になっているようだ。『2年B組仙八先生』の共演者で、同じく番組を途中退場した川原田新一(ジャニーズ事務所所属ではなかった)のブログで、現在の姿を確認することができる。

 ジャニーズ事務所の栄光の歴史の陰に、このように芸能界でのチャンスを剥奪された者の歴史もあるのである。

峯岸あゆみ/ライター

峯岸あゆみ/ライター

CSと配信とYouTubeで過去のテレビドラマや映画やアイドルを観まくるライター。ベストドラマは『白線流し』(フジテレビ系)、ベスト映画は『ロックよ、静かに流れよ』(1988年、監督:長崎俊一)、ベストアイドルは2001年の松浦亜弥。

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