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2トップ追放の黒幕は、元「野村霞ヶ関出張所」の万年MOF担

野村、業務停止逃れた“実績ゼロ”元社長と金融庁の密約?

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post_530.jpg「週刊東洋経済」(東洋経済新報社/8月11日号)より

 救世主か、それとも、過去の亡霊か――。証券国内最大手、野村ホールディングス(HD)の古賀信行会長(61)のことだ。久々の出番である。グループ最高経営責任者(CEO)の渡部賢一氏(59)と、同最高執行責任者(COO)の柴田拓美氏(59)の2トップが、7月31日付で辞任した件の舞台裏が明らかになった。

 米通信社のロイター(7月29日付配信)は、「野村トップ辞任劇、危機感背景に古賀会長が振るった大なた」と題する記事で、「最後は、危機感を募らせた古賀信行会長が乗り出し、自ら当局と掛け合い、渡部CEOに引導を渡す結果になった」と報じた。

 古賀会長は後任のCEOに傘下の野村證券社長の永井浩二氏(53)を、COOには野村HD専務で米州地域CEOの吉川淳氏(58)を指名(8月1日付で就任)した。これで公募増資インサイダー問題の経営責任に一定のケジメをつけた。

 トップ交代はズバリ、元MOF担(旧大蔵省担当)の古賀氏と、金融庁の連携による経営陣刷新劇だったということだ。古賀氏は社長としては影が薄く、会長に退いた後も、まったくといっていいほど存在感はなかった。だが、MOF担のキャリアはダテではなかった。当局と太いパイプを持つ者として事態収拾のキーマンに躍り出たのだ。

 古賀氏は1950年8月、福岡県大牟田市で生まれた。近くに三井三池炭鉱の社宅があった。小学3年生のとき、大量の指名解雇をきっかけに「総資本と総労働の対決」といわれた三池炭鉱の大争議が起きた。第1組合と第2組合の分裂は、子供の世界に持ち込まれた。学校では、2つの組合員の子供たちが「お前ら、帰れ」と罵りあった。これを受けて、古賀氏は後年「極端はよくない」と痛感したと述懐している。これが、彼の中庸志向の原点となった。

 鹿児島のラ・サール高校から東京大学法学部に進む。74年4月に野村證券に入社。同期の大卒は390人。野村では、新入社員は、まず全国の支店で営業を経験する。だが、東大法学部卒の古賀氏は、“株屋”とは異なるエリートとして育てられた。営業の仕事は、一度もやったことがない。

 人事部を振り出しに本社の3つの部署を約3年ずつ経験した後、総合企画室の業務課に配属された。最大の仕事は監督官庁である大蔵省(現・財務省)との折衝だ。大蔵省の英語表記Ministry of Financeの省略形はMOF。だから、その担当はMOF担と呼ばれた。のちに大蔵省への過剰接待事件で有名になった、あのMOF担である。事件後には廃止になった。

 野村のMOF担は大蔵省に深く食い込んでいた。省内のトイレで立ちション(小便)をしながら秘かに話された、同省幹部の会話を翌日には野村の中枢が知っていたというエピソードがある。ほかの証券会社の首脳が大蔵省証券局を、野村證券霞ヶ関出張所と陰口を叩いたほどだ。

BusinessJournal編集部

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