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競馬界のカリスマ武豊は如何にして全国区の騎手となったのか。若かりし天才をG1初制覇に導いたのは、あの「カリスマ総帥」の信念だった

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※画像:武豊

 競馬界のカリスマ武豊は如何にして全国区の騎手となったのか。若かりし天才をG1初制覇に導いたのは、あの「カリスマ総帥」の信念だった

 通算4000勝に100を超える国内外のG1制覇......。競馬界に前人未踏の記録を積み上げ続けている帝王・武豊騎手。もはや現代のメディア、競馬ファンに「競馬界の顔役」として完全に定着していると述べても過言ではない。

 しかし、そんな武豊騎手も当然ながらルーキー時代は存在し、はじめから競馬界をけん引する存在だったわけではない。

「千里の道も一歩より」ではないが、若かりし天才が本当の意味で全国区となったのは、積み上がったG1勝利の最初の1勝目を"史上最年少記録"というオマケ付きで果たした時だろう。

 武豊は当時を振り返り「強烈だったのはスーパークリークとの出会いですね。あの馬がいなかったら、僕はこんなにたくさんのG1に乗れなかったと思う。本当に強かった。ある意味で僕の原点、この馬と一緒に全国区になった」という言葉を残している。

 武豊がデビュー2年目の若干19歳でG1初制覇を飾ったのは、牡馬クラシック最終関門の菊花賞(G1)。そして相棒は、のちにオグリキャップのライバルと呼ばれるスーパークリークだった。

 しかし、このスーパークリークの菊花賞制覇に"最大の貢献"を果たしたのは、鞍上の武豊でなければ、管理する伊藤修司調教師でもなかった――今回は、競馬界の帝王・武豊のG1初制覇の舞台裏にあった"事実"を紹介したい。

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