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維新の会、理念バラバラで崩壊の始まり~なぜ大阪府民は橋下徹を見限ったのか?

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維新の会、理念バラバラで崩壊の始まり~なぜ大阪府民は橋下徹を見限ったのか?の画像1「橋下徹 オフィシャルウェブサイト」より
 9月29日、大阪府堺市の市長選挙の投開票が行われ、周辺住民だけでなく、日本中から注目を集めた選挙となった。2012年に日本維新の会が主張し始めた「大阪都構想」の是非が争点となったが、それと同時に、大阪府周辺に漂う日本維新の会を支持する空気というものも垣間見えた選挙であった。

 結果的として、日本維新の会の共同代表を務める橋下徹大阪市長が率いる地域政党・大阪維新の会公認の新人候補が、構想に反対する現職の竹山修身氏に敗れた。

 最近、マスコミでは「橋下の神通力が切れた」「橋下は賞味期限切れ」といわれる。しかし、橋下氏一人の政党ではないし、堺市長選挙に橋下市長が立候補したわけでもない。それにも関わらず橋下氏だけをやり玉に挙げるのはいかがか、という感じがするが、一方で、日本維新の会という政党への支持は明らかに目減りしている。それは彼らの掲げる政策が、有権者の期待するものと異なる内容になってしまっていることを意味する。

 私自身、これまで、橋下大阪市長の政策や「維新八策」に関して、批判を行ってきた。それはなぜなのか? どうして維新の会は失速したのか? それは、有権者が政治家に期待する3つの原則が、彼らには欠けているからだと思われる。1つ目は「政治的イデオロギー」。2つ目に「政策の実行力」。そして3つ目に「政策実行に関する客観性」だ。この3項目に沿って、日本維新の会の現状を考察してみよう。

 まず「政治的イデオロギー」。これはある意味「基本理念」といえるものかもしれない。昨今の日本の政治においては、「イデオロギー」がなくなったといわれている。もともと55年体制においては「保守」と「革新」という政治イデオロギーが対立をしていたが、ソ連の解体、そしてベルリンの壁の崩壊に伴って、このイデオロギーの壁がなくなったと評価されているのである。

●イデオロギーのない維新の会

 当然、現在の日本において、政治家のイデオロギーがなくなったわけではない。国際的な東西冷戦がなくなってから、なおさら「将来の日本像」を考える面で、かえって各政治家の政策にイデオロギーが必要とされているだろう。

 政治報道において、時として政策が「ブレる」という単語が使われ、政治家のバッシングが行われるが、実際にその「ブレ」が生じるのは、その政治家にイデオロギーができていないために、外部からの批判や質問に対する回答が、その場ごとで左右したりするときに発生する。

 この観点から見ると、維新の会に政治イデオロギーがまるでないことはよくわかるだろう。例えば、今年5月に発生した従軍慰安婦の強制連行問題に関する発言で、石原慎太郎・橋下徹両共同代表の意見が食い違い、その問題から西村眞悟議員が離党するなど、日本の大東亜戦争における責任とその考え方において「日本維新の会」としての統一の見解が得られていない。これは少なくとも国政政党としての外交の基本方針ができていないことを意味する。12年12月の総選挙後にも、石原代表と橋下代表の食い違いがあり、元太陽の党と元大阪市維新の会の分裂が噂されるなど、基本方針や考え方に関して全く異なっていることが少なくなかった。

 こうした事例は、有権者に不信感を与えるだろう。当然、今回の堺市長選挙で争点となった大阪都構想に関しても、その中心であるイデオロギーが確認できず、堺市民も「状況がはっきりわからないと支持できない」という感覚が少なくなくなったのであろう。

●実行力とは頼りがいと同義

 次に「政策の実行力」。政治家が「口先だけ」でなく「実行力がある」ということは、有権者にとって非常に重要なファクターであろう。

 今回の選挙では、選挙期間中に台風が直撃し、それぞれの候補の対応が分かれた。現職の竹山氏は、大雨で河川が増水したので、市長公務を優先し、選挙活動を一旦中止。現場視察などの対応にあたった。その一方、橋下大阪市長は、「堤防の現状確認など、素人の市長がやっても意味がない」と、竹山氏の災害対応を批判したのだ。

 現場主義か安全な自宅からの指示か、そこは意見の分かれるところである。だが、政治に対する「実行力」は政治家に対する「頼りがい」という言葉にも置き換えられるし、そもそも橋下氏が、大阪府や大阪市で何をしてきたのか、という問いかけに対して、堺市の人々がひとつの結論を出したとも見ることができるだろう。

●公平性を確保するためには、統一の基準が必要

 最後に、「政策実行に関する客観性」である。

 政治家は「有権者の視線」、ひと頃流行した言葉では「国民目線」で物事を考えることが重要だろう。しかし、政権与党になれば、有権者からの陳情は多く来るわけであり、その対応において「公平性」が要求されることになる。その公平性の要求は、「日本の国政に対する必要性」を「客観的」に判断して行うことが重要となる。

 複数の政策実行を求められたときに、すべてを同時に行い、同時に完成させることなどできない。国家や政治にも予算があるので、何かが優先し、何かが劣後することになる。その優先と劣後を分ける基準が「外部の人から見ても客観的で理解可能」なものでなければならないわけだ。

 もっと単純にいえば「陳情に来ても、その要求を通すことができないときに、有権者に納得して帰ってもらわなければならない」ということだ。

 この点において、そもそも政治的なイデオロギーが党内で一致していない日本維新の会には、公平性に照らして複数の基準が存在してしまうことになる。従軍慰安婦の強制連行問題をそのまま例に挙げれば、「慰安婦への賠償」について、橋下代表は了解しても石原代表は反対するということになる。1つの政党で2つの政治的基準が存在し、それをその都度使い分けるということをすれば、政党として打ち出す政策の実行が不安定になり、政治に対して不信感を与えることになるのだ。

 いかにして維新の会は凋落したのかを考察すると、以上のような結果になるわけだが、こうした政党は、なにも日本維新の会だけではない。別の政党にも当てはめて考えてみると、政治がまた違った形で見えてくるのではないだろうか?
(文=宇田川敬介)

BusinessJournal編集部

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