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快走続くアシックス、世界トップ3入りへの成算は?カギは愛好家ニーズ開拓と価格競争力

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 アシックスの売上高2602億円、営業利益187億円に対して、世界市場トップの米ナイキは売上高2兆5313億円、営業利益3254億円。同2位の独アディダスは、売上高1兆9347億円、営業利益1541億円。同3位の独プーマは売上高4483億円、営業利益147億円(以上、3社の業績は「週刊ダイヤモンド」<ダイヤモンド社/14年2月5日号>より)。つまり、国内市場トップのアシックスでさえ、その売上高はナイキの営業利益にも及ばないのが現状だ。

 だが、3位のプーマに目を転じるとその差はぐっと縮まり、売上高では1.7倍の差をつけられているものの、営業利益は逆転している。「16年3月期に中計の売上目標を達成すれば、間違いなくプーマを追い抜ける」と、アシックス関係者は意気込む。

●低迷続いた過去の教訓

 以上みてきたように、今では業績好調が続くアシックスも、実は15年前までは7期連続の赤字が続き、塗炭の苦しみをなめていた。

 創業者の鬼塚喜八郎氏がアシックスの前身、鬼塚株式会社を設立したのは1949年のこと。最初は学童用ズック靴の製造販売から事業を開始した。それが軌道に乗ると、次に目を付けたのが「運動靴」だった。「これからは戦前のようにスポーツが盛んになる」と確信していたからだった。その手始めに取り組んだのが国産バスケットシューズの開発だった。

 当時の靴業界で「急発進と急停止の矛盾した機能が必要なバスケットシューズは最も製造が難しい。国産化は当面無理」と言われていた代物だった。それを承知で挑んだのは「最初に高いハードルを超えておけば、その後のハードルはいくらでも超えられる」との考えからだった。このため、当時はバスケットボール強豪校だった神戸高校バスケットボール部へ試作品を持ち込み、選手や監督に直接意見を聞きながら改良を繰り返し、バスケットボールシューズ第1号を発売したのが50年のことだった。鬼塚氏はこのシューズを全国の高校バスケット部へ売り歩き、スポーツシューズメーカーとしての基盤固めに成功した。

 その後、バレーボールシューズ発売(52年)、マラソンシューズ発売(53年)と事業品目を拡大。75年に海外進出を果たし、77年に社名をアシックスに変更するなど社業は隆盛を極めていった。80年代後半の同社は「競技用シューズのアシックス」として業界に君臨、そのシェアは「バスケットシューズが8割、バレーボールシューズが6割台、マラソンシューズは9割」(当時の業界関係者)といわれるほどの強さを示していた。

 この強さゆえにつまずき、アシックスを奈落の底へ突き落したのが、90年代初頭のバブルショックとそれに伴うスポーツシューズ市場の縮小だった。同社は93年3月期から99年3月期まで、7期連続で最終赤字の長期低迷にあえいだ。ところが、つまずきの兆候は絶頂期にすでに表れていたのだった。バブルショックはそのきっかけにすぎなかったといえる。なぜなら、同社の業績を遡ると86年から91年まで売上高は伸びていたが、同時期の営業利益は下降一直線をたどっていたのがわかるからだ。

 この増収減益要因を分析し、同社の凋落を予測するかのように、赤字転落前に事業の脆弱性を指摘していたのが当時の「日経ビジネス」(日経BP社/91年9月2日号)だった。同誌記事は同社失速の理由について、スポーツシューズの購入層が一般のスポーツ愛好家にも広がる中で、競技用シューズに強い企業体質が仇となり、その波に乗り遅れたためと分析している。また、高コスト体質が財務の増収減益構造をもたらせたと指摘している。

BusinessJournal編集部

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