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吉野家「ミスター牛丼」、なぜ鮮やかな退任?熾烈競争、重なる危機を乗り越えた不格好経営

文=福井晋/フリーライター
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 ところが、同年10月、吉野家は競合2社も驚く激安250円(並盛)の牛丼店「築地吉野家 極(きわみ)」の出店を開始。激安店の出店は、「吉野家の存在感を高めたいが、価格競争も無視できない」との、安部氏の判断を如実に示していた。こうした度重なる方針転換にもかかわらず吉野家が「牛丼御三家」の座から滑り落ちなかったのは、「牛丼なし営業の経験があったからだ」と前出の業界関係者はいう。

●牛丼店の牛丼なし営業

 前述のとおり、吉野家は04年から約2年半、牛丼販売を中止した。すき家など競合他社が調達を切り替えた豪州産牛は、主に牧草で飼育しているため、穀物飼育をしている米国産牛に比べ脂身が少なく、牛丼にすると肉が固く、味も落ちる欠点があった。吉野家のキャッチフレーズは「うまい、やすい、はやい」。吉野家は、このうちの「うまい」をないがしろにしてチェーン拡大に走ったのが一因で、一度倒産を経験している。安部氏はこの倒産の苦い経験から「吉野家の味(うまい)と似て非なるものは売らない」と、米国産牛輸入再開までの牛丼販売中止を決断。前代未聞の「牛丼店の牛丼なし営業」が04年2月から始まったのだ。

 牛丼販売中止で現場は大混乱に陥った。その当時を知る吉野家OBは次のように振り返る。

 牛丼なし営業開始で、現場を混乱させたのは「豚丼」などの代替メニューにおける「吉野家の味の再現」だった。試行錯誤で毎月のように本部が投入・改廃する代替メニューに対し、現場では不満が渦巻いた。本部は代替メニューを実験店で3週間程度の試験販売をしてから、そのメニューのポイントとなる加熱温度、タレの加減、食材の重さと、料理盛り付け、使用調理器具などを記載した調理マニュアルを全店に配布する。店舗側はそのたびに食材の保管方法、調理器具、食器、備品などを変え、新しい調理法の習熟練習をしなければならない。メニューが変わればオペレーションも変わる。

 さらに頻繁なメニュー変更で、店員は「どれが吉野家の味」なのかわからなくなり、吉野家の味に自信を持てなくなった。その結果、客足が遠のき、先行き不安に耐え切れずに吉野家を辞める店員も出始め、店長に重圧がかかった。

 本部の試行錯誤から半年、代替メニューの定番が固まった04年8月頃から現場は少しずつ落ち着きを取り戻した。牛丼なし営業が響いた吉野家の05年2月期単独決算は14億円の営業赤字に沈んだが、定番メニューが固まり、その認知も進んだ06年2月期は、牛丼なし営業で22億円の営業黒字を回復、現場に明るみが射してきた。

 さらに06年春になると米国産牛輸入再開の見通しがつき、現場では「待望の日に向けてのカウントダウン気運が広まっていた」(同社OB)。そんな矢先、ある店の店員が「牛丼を再開してもBSEが怖いので、吉野家の牛丼は食べない」と話しているとの情報が本部に入り、幹部は震撼した。「全頭検査をしているので米国産牛は安全」と消費者にPR活動をしているにもかかわらず、肝心の店員が不安に駆られていたのだ。

 吉野家は直ちに現場へのアンケート調査を行い、回答者の48%が米国産牛に不安を感じていたことが判明。「急遽本部系社員を総動員し、全国の現場に対する誤解払拭活動に最優先で取り組んだ」(同社OB)結果、「吉野家の牛丼」に不安を感じる店員が激減した。そしてついに06年9月18日、吉野家は「牛丼復活祭」を開催し、牛丼販売を再開した。

 その2週間前、本部で「牛丼販売再開決起集会」が開かれた。全員を代表して「決意表明」を読み上げた東京・有楽町店店長は、その中で「売りたい牛丼を売れず挫けそうな時もあったが、吉野家の誇りを持って走り続けた」と、現場の思いを語った。それを聞いた瞬間、現場の苦労が身に染み付いた安部氏は「嗚咽を漏らし、目頭をハンカチで押さえた」(同社OB)。

●吉野家の超常識

 証券アナリストは、牛丼戦争で吉野家が苦戦している理由について「少数メニューが足枷になっている」と、次のように説明する。

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