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秘宝館、ブームから約30年目の存続危機 勢い任せの計画・経営が負の遺産残す

文=東賢志/A4studio
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 性にまつわるさまざまな名品、珍品をユニークに展示する秘宝館。歴史的には1969年4月にオープンした徳島県阿波市の「男女神社秘宝館」を皮切りに、71年に三重県伊勢市に開館した展示面積6000平方メートル、展示品数1万点という大スケールの「元祖国際秘宝館」が人気テレビ番組『11PM』(日本テレビ系)で紹介され、認知度を押し上げた。

 80年静岡県熱海市に「熱海秘宝館」がオープン。同年、北海道札幌市にも「北海道秘宝館」がつくられた。83年12月には総工事費5億円、展示品総額2億円をかけた「嬉野観光秘宝館」が佐賀県嬉野市に開館し、80年代中期から後期にかけて全国で約20館以上、個人営業レベルの類似施設を含めると約50館以上の秘宝館が誕生した。

●秘宝館と地方テーマパークとの関連性

“テーマパーク元年”と呼ばれる83年以降は、地方の観光地にレジャー施設も増加した。同年「東京ディズニーランド」が開園し、2カ月で入園者数100万人を突破、5年後には累計5000万人を記録。そして87年にリゾート産業の振興を目的とした「総合保養地域整備法」(通称:リゾート法)が制定されたことで、テーマパークの建設ラッシュが始まった。

 香川県「レオマワールド」(91年4月開園)、宮崎県「シーガイア」(94年10月開園)、三重県「志摩スペイン村」(94年4月開園)など、83年以前は大規模な遊園地は全国に10カ所程度だったが、最盛期には40カ所を超えるほどに急増した。

 冒頭の秘宝館の年間総入館者数は10万人以上をキープし続け、人気は右肩上がりのままバブル景気に突入した。

 しかし、需要がピークを迎えた頃の91年、バブルが崩壊。それでも施設計画の推進に歯止めはかからず、結果的に爆発的に増えたレジャー施設は初期投資の回収が追いつかぬまま沈黙し、ほとんどのテーマパークが倒産に追い込まれた。

●テーマパークと共に秘宝館も続々と姿を消す

 秘宝館の運営状況も停滞し、「鳥羽SF未来館」が2000年5月、「東北サファリパーク秘宝館」が05年5月、「元祖国際秘宝館」が07年3月、「別府秘宝館」が11年5月、「北海道秘宝館」が10年4月にそれぞれ閉館。約7億円もの初期投資をした「嬉野観光秘宝館」も14年3月をもって閉館した。そして栃木県日光市にある「鬼怒川秘宝殿」は今夏で閉館予定だ。

 極めて厳しい状況の中、存続に死力を尽くす「熱海秘宝館」。運営元のアタミロープウェイの支配人は現状を次のように話す。

「現在の入館者数は平日約100~150人、週末約300~400人です。ピークの96年には年間17万人弱という記録もありましたが、その年は『熱海後楽園ホテル』の新館もオープンしており、特需が発生したと考えられます。その前後の95年、97年は年間約13万人です。ちなみに昨年は9万人弱で、完全に右肩下がりです」

 続けて、約30年という歳月が秘宝館の限界だったのかもしれない、としつつ、同支配人は運営についてこう言及する。

「秘宝館は継続的に設備投資をしていかないと陳腐化し、時代に淘汰されてしまうでしょう。しかし『熱海秘宝館』に限っては、減価償却も済んでいることもあって、ランニングコストはかかりますが、ありがたいことになんとか黒字を計上しています」

 後継者問題も重要な課題だ。個人営業レベルの秘宝館は存続価値を見いだしにくく、たとえ経営者の息子であっても跡目にならない、というのも閉館理由につながっているそうだ。

 施設の買収や経営立て直しのメドが立たずに、そのまま廃墟になるという例も多く、時流に乗った勢い任せの計画と経営が負の遺産をつくってしまったことは、秘宝館や地方テーマパークの現状を見れば明白だろう。
(文=東賢志/A4studio)

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