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熊谷充晃「歴史の大誤解」

銀座と新橋はかつて海だった!東西を結ぶ大動脈は、東海道ではなく中山道だった?

文=熊谷充晃/歴史探究家
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銀座と新橋はかつて海だった!東西を結ぶ大動脈は、東海道ではなく中山道だった?の画像1現在の東京・銀座(「Thinkstock」より)
 現在の山梨県全域をほぼカバーする地域は、かつて「甲斐国」と呼ばれていた。戦国時代きっての人気武将・武田信玄が本拠を構えていたことで有名な国だ。平野部がほとんどなく甲府盆地を囲むように山が連なる地形。ところどころに隣国と結ばれた街道こそあるものの、基本的に出入りするには都合がよろしくない。一方で、その山並みが国全体をぐるりと囲む天然の巨大な城壁のようなものでもあり、基本的に攻められても守りやすい。

 この国は江戸時代を通じてほとんどの期間、藩が置かれずにいた。全国的にも稀な大名不在の国のひとつだったのだ。徳川5代将軍・綱吉の寵臣だった柳沢吉保などの例外を除いて、6代将軍に就任する前の家宣が「甲府宰相」と呼ばれたように、将軍の一族などが襲封するケースが大半で、その治世すらさほど長くはない。ほとんどの期間は直轄領とされ、大名の代わりに幕府直臣の代官や奉行などが甲斐を監督していた。

 そうなったのは理由があり、甲斐国は将軍が鎮座する江戸にとって欠かせない、西方からの脅威に対する重要な防衛ラインにあるためだ。そして、なぜ甲斐が重要拠点と見なされたかというと、当時の地形を考えなければならない。

 現在の関東平野では、利根川は途中で大きく東に向きを変え、千葉・茨城両県の県境を形成しながら太平洋に注いでいる。さらに東京に目を転じてみると、新橋はサラリーマンに愛される歓楽街で、すぐ北の銀座も国内有数の繁華街として名を馳せている。品川は今では新幹線停車駅だ。

 関東と関西を結ぶ大動脈と聞いて思い浮かぶのは東海道。江戸時代にも「東海道五十三次」が存在したし、現在は太平洋に近いルートを東海道新幹線が横断し、並行するように東名高速道路も走っている。

 しかし江戸時代初期、東海道は現在ほど便利なルートではなく、京都と江戸を結ぶ幹線として存在感を発揮していたのは中山道だった。というのも当時は、銀座や新橋はほとんどが海。存在していた内陸に食い込む細長い「日比谷入江」は、現在の日比谷や銀座、新橋などを含む浅瀬だった。また利根川も真っ直ぐ南下して東京湾に注いでおり、現在よりも複雑な海岸線を持つため潮の流れも複雑で、地元の者でも航行に難儀するような海域だった。

 京都から伊勢湾を越え、数多くの大河川を渡り、急峻な箱根を越えて関東に入っても、最後に最難関が待ち構えていたのだ。つまり、まったく平坦ではないどころか、移動手段もクルクル変わる面倒くさいルートだったのだ。

 一方で中山道は、現在の感覚からすると「山また山を乗り越える難儀なルート」のイメージがあるだろうが、当時とすれば、それでも東海道よりずっとマシだった。逆に山間が経路を示してくれるような側面もあるわけで、トンネルなどなくても歩きやすいルートをたどっていくだけという気安さもあったはずだ。

東西の最短ルートは中山道?

 さらに江戸幕府は、東海道沿いに点在する河川の架橋を認めなかった。古今東西によくある例だが、交通の便をあえてよくないままにすることで、敵対勢力の容易な進軍を阻むなどの目的があったからだ。よく引き合いに出される有名な大井川をはじめ、旅人たちは、人足の手を借りなければ渡河することもかなわず、大雨が続いて増水でもしていれば、長いと数日は足止めさせられる不便をかこったのだ。

 こういった事情から、幕府による江戸市街と東京湾の大々的な改造がなされても、東西の最短ルートといえば、陸路に限れば中山道だった。

 その中山道を西から東へ下って途中から甲州街道に入ると、甲斐を通過すれば武蔵国。江戸の街はすぐそこだ。だから甲斐は幕府にとって最終防衛ラインとなり、その安全を保障するために是が非でも幕府が直接支配する地域でなければならなかった。

 もちろん、甲斐国は戦国時代から全国有数の金山を抱える国でもあり、経済的な側面からも重要性があったのは事実。しかし同時に、幕府が甲斐国を他人任せにせず直轄領とするのにこだわったのは、軍事的・政治的な理由があったのだ。

 現在の観点や知識で見てしまうとわかりにくいことも、視点を変えたりすると違った見え方を与えてくれる。だから歴史は奥深い。
(文=熊谷充晃/歴史探究家)

熊谷充晃/歴史探究家

熊谷充晃/歴史探究家

1970 年神奈川県生まれ。フリーライター。歴史探究家。近著は『教科書には載っていない! 戦争の発明』(彩図社)、『幕末明治動乱「文」の時代の女たち』(双葉社)、『テレビではいまだに言えない昭和・明治の「真実」』(遊タイム出版)、『世界文化遺産富岡製糸場と明治のニッポン』(WAVE出版)。週刊誌専属記者などを経て2005 年から著述家に。歴史全般のほか社会時事、スポーツ、芸能、ペットなど、ジャンルにより複数のペンネームを使い分けて活動し、自著は現在30 冊近く。また、企業の公式サイトやフリーペーパーなど多岐にわたるメディアで執筆している。

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