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浮世博史「日本人が知らなかった、ほんとうの日本史」

本能寺の変の裏に衝撃の真実が!「謎だらけの」豊臣秀吉、なぜ天下を獲れた?

文=浮世博史/西大和学園中学・高等学校教諭

本能寺の変の裏に衝撃の真実が!「謎だらけの」豊臣秀吉、なぜ天下を獲れた?の画像1豊臣秀吉像(「Wikipedia」より/Tabularius)
 これまで、豊臣秀吉は多くのNHK大河ドラマに取り上げられてきました。たとえ主人公ではなくても、戦国時代のドラマで秀吉が登場しないものはほとんどないでしょう。

 秀吉が関係する話では、弟の豊臣秀長が登場することも多いのですが、秀長についてはわからないことが多くあります。秀吉の異父弟といわれてきましたが、最近の研究では「同父弟である」という説も有力になっています。

 これだけ有名にもかかわらず、秀吉の家族には謎が多く、妻の高台院(ねね)も含めて、縁戚関係などは不明なことだらけです。

 秀長の名前が史料に見られるようになるのは、1560年の桶狭間の戦い以降です。1561年の織田信長による「美濃攻め」あたりから、秀吉の側にいたと考えるのが無難でしょう。

 ドラマや小説では、秀長の通称として「小一郎」という名前が出てきますが、実際に秀吉が黒田孝高に宛てた手紙の中に、以下のような文章があります。

「お前は、弟の小一郎と同じように心許せる存在だ」

 臣下の心をくすぐるお世辞だとしても、この表現からは秀吉が秀長に厚い信頼を寄せていたことがわかります。

 ドラマや小説での秀長は、「秀吉の暴走を止める」「秀吉を助ける」といった役どころが多く、歴史ファンに「もし長生きしていたら、豊臣政権は安泰だったのではないか」と思わせる存在です。

 当時は、秀吉の参謀を黒田が、補佐役を秀長が務めていました。経営者にとっては、参謀も補佐役も欠かせない存在です。しかし、それはまったく別物だということが、黒田と秀長の行動からわかります。

 参謀とは、方向性や知恵、判断材料を司令官に提供する役割です。ピンチの匂いを嗅ぎ取り、チャンスの到来を教えます。しかし、補佐役は違います。司令官が決めたことを運用するに当たって、より円滑に実行できるようにするのが役割です。

優秀な“副社長”だった秀長

「信長が本能寺の変で明智光秀に討たれた」という知らせが届いた時の2人の対応は、参謀と補佐役のお手本ともいえるものです。黒田は言います。

「好機到来! 殿が天下人になられる時が来ました。今、ここからすぐに引き返して光秀を討てば、天下は殿のものになりますぞ!」

 しかし、秀吉は「それはその通りだ。しかし……」とためらったといいます。秀長は、涙を流しながら言います。

「兄上は、信長様からひとかたならぬ御恩を受けて参りました。今日があるのは、すべて信長様のおかげです。仇を討ち、お恨みを晴らし申し上げずになんといたしますか。ほかの者に信長様の仇を討たれてしまっては、あの世で信長様にお会いした時、兄上はなんと申し開きをなさるおつもりですか」

 参謀と補佐役の違いというのは、こういうことです。

 補佐役は、司令官の決断に決意を伴わせ、後ろめたさを消して自信を持たせます。司令官に逆らったり、司令官が決めたことを覆したりする役割ではありません。

 よく、「秀長は、秀吉に対して唯一意見することができた男」と表現されますが、秀長が秀吉に意見して、その考え方や行動を戒めたことはありません。補佐役は、司令官が決めたことをその通りにうまく実行できるように調整するのが主な役割で、諫止(かんし)や補正は参謀の役割です。

 そして、秀長は秀吉の弟でした。現代の会社にたとえれば、比較的ワンマンな社長がいて、その弟が副社長に就いているという感じでしょうか。そして、周りの社員はこう思います。

「この人に相談すれば、社長に話が通じそう」「この人の前でがんばっていれば、社長にも伝わりそう」

 こういった空気感が、大切なのです。

 秀長は、1585年の四国征伐の時には秀吉の代理として、軍事を任されています。また、徳川家康が上洛した時、家康は秀長の邸宅に宿泊しています。大友義鎮が秀吉に援助を求めて九州からやってきた時には、秀吉はこう述べました。

「内々のことは千利休に、公のことは秀長に相談なされよ」

 自分を消して、秀吉の代理ができる人物。秀長の魅力は、このあたりにあるような気がします。
(文=浮世博史/西大和学園中学・高等学校教諭)

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