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「ココロに効く(かもしれない)本読みガイド」山本一郎・中川淳一郎・漆原直行

他人から暴力や怒りや反論を喰らわぬためには、どうすればよいのでしょうか

文=中川淳一郎/編集者
他人から暴力や怒りや反論を喰らわぬためには、どうすればよいのでしょうかの画像1『生身の暴力論』(久田将義/講談社現代新書)

【今回取り上げる書籍】
『生身の暴力論』(久田将義/講談社現代新書)

 元「実話ナックルズ」(ミリオン出版)編集長による、暴力をテーマにした書である。登場するのはひたすら男だらけ。出てきた女は「コンビニで店長他を土下座させた女」程度である。著者がこれまでに取材や謝罪などでアウトローと接してきたりした経験を元に、暴力がどのような背景から生まれるのかを解説する。著者自身は「僕は臆病者である」と宣言するように、暴力を決して肯定しているわけではない。むしろ、いかに避けるかを説くものの、暴力はいつの時代にも存在するものだし、一線を越えてしまうことが可能な人間も世の中にはいることを解説する。

「『デビュー』が早いほど大事(おおごと)にならない(で済む)」「『ダサさ』の感覚を持ち合わせているかどうか」といったことと、暴力の歯止めが利かなくなる理由を説明するとともに、殺人経験者の「トロ~ンとした眼」の特徴にも焦点を当て、その特徴を描写する。筆者によると土方歳三はその例の一人だそうだ。あとは、「危険な事態であろうとも一人で行動できる人間」がどういった人間なのか、などについても述べていく。川崎中学生殺害事件や、AKB48メンバー襲撃事件に、「ドローン少年」ことノエルなど、実際の事件もケーススタディとしているため、ニュースを日々追っかけている人間からすれば、こうした解説がスムーズに理解できることだろう。

「青春あるある」的な側面

 本書を読み進めていくうちに、男だったら誰しもが経験するような「青春あるある」的な側面も備えた書であることに気付く。例えば、「地元愛」について語る部分だが、こうある。

<ちなみに、不良少年の都市伝説には「○○三兄弟伝説」というものが複数ある。その土地土地に、喧嘩が圧倒的に強い人間がいるものだが、不思議と「三兄弟」が多く、「○○三兄弟」などと言われて恐れられている傾向があるように感じられる(全国の三兄弟の方々が全てそうだと言っている訳ではない)。>

<不良少年にとってのアイデンティティは、「どこの中学にいたか」だ。「どこの高校か」ではないのである。(中略)だから、喧嘩になりそうな不穏な空気が漂う時、「お前、何中?」という会話から始まるのがオーソドックスな不良少年だ。「○○中は悪い」「××中は怖い」というフレーズも不良少年の間では定番である>

 「亀田三兄弟」ではないが、確かにこうした伝説はあったようにも思える。大抵の場合、「三兄弟で最も凶暴なのは三男のタケシだ。あいつには底知れぬ恐怖がある」というかたちで「長男=エース級」「次男=堅実」「三男=まだ開花せぬ天才気質」ということになっている。

 「どこの中学にいたか」についてもよく分かる。私が通っていた東京都立川市の公立中学校は同様の状態で、高校に入っていても出身中学は高校生の間で重視されていた(と聞いた)。ちなみに、学校の評判がわかる口コミサイトで調べてみたら、私の通った立川第六中学校は東京の中学校376校中362位という低位であった。これを知り、今更ながらなんとなく誇らしげな気持ちになった。本書にも登場するが、「イスラム国」に影響され、人を殺したくなった中学生が立川市内の小学校に忍び込み、ヤギを殺害し練習をしようとした騒動がある。この小学校、私の出身校であり、多くの児童は六中に進学する。この忍び込んだ中学生はヤギがその小学校にいることを知っていたわけである。ニュースを見た瞬間「もしや六中生か……?」と思ってしまったものである。

 まぁ、そんな物騒なエリアではあるものの、私が通っていた頃の生徒の誇りは「六中は5年ほど前まで立川で最も荒れた中学だった」ということである。「廊下をバイクが走っていた」という話や、「体育館の裏はタバコの吸い殻だらけだった」というエピソードを聞くと「圧倒的ではないか、我が中学は」と思ったものである。しかし、時は流れ私の一つ上の代の3年生からは京都への修学旅行が復活した。

 東京の中学生なのに、京都へ行かないってどういうことか? かつての六中生は、ガラが悪過ぎ、京都の街に放り出すとどんな問題を起こすかわからないということで、修学旅行先を東北にさせられたのである。やることといえば「最上川舟下り」「将棋の駒製造工場見学」「中尊寺観光」など、常に教師の監視の目の下、集団行動をさせられるのだ。二つ上の代まで数年間旅行中の態度が良かったことから、修学旅行は1987年にようやく京都に戻されたのだった。

地元の「最強中学伝説」

 「悪かった」ことは在校生の誇りではあり、それは同時にその状況を乗り切った教師への畏怖をも植え付ける。「●沢」という女体育教師がいたのだが、彼女は元女子プロレスラーの「ベアー・マミ」という選手だったという説が蔓延し、彼女の尾てい骨への正確なキックは過去に何人もの男子生徒を撃沈してきたとされていた。ほかにも顔中ヒゲだらけで怪しげなサングラス風メガネをかけた「シミセン」や、常にヨネスケの「隣の晩御飯」に登場するような巨大シャモジを持ち、生徒を廊下に並ばせて尻を叩くK先生などもいた。野球部の練習でも「尻バット」は普通にやられていた。

 こうした今の時代であれば「暴力教師」とも捉えられかねない教師に畏怖の念を抱き、従う生徒だらけになることにより、「荒れた中学」からは脱却できる。しかし、これは同時に立川市内での評判の低下を招く。その頃、ナンバーワンの荒れた中学は「二中」だった。近所の朝鮮中学と激しい抗争を繰り広げたがゆえに戦闘力が高まり、都内のどこにも負けないほどワルの巣窟と化したとされた。だからこそ、立川駅近くのゲームセンターなどに行くと「お前何中?」と聞かれ「六中…」と答えた時に相手が「オレ二中」と言う時にヤツらは誇らしげな顔をしていたのである。

 そんな中、Hという美女が二中から転校してきた。勝手に「Hは二中の番長と付き合っていた」「あいつはスパイに違いない」といった噂が流れるのである。結局そんなことはないのだが、地元の「最強中学伝説」というものは滑稽ながらも一つの「あるあるネタ」として男の心にはしみついているのだろう。

暴力論以外の見どころもある書

 さて、本書で学ぶべき点は著者の文章スタイルである。決して暴力を肯定しているわけではない、ということを述べるとともに、実話ナックルズ元編集長ということで自身に貼られた「こわもて」イメージをいかに払拭させるか、という文章スタイルを採っている。

 さすがに、たった一言の言い間違いがいかに相手を怒らせるのかを熟知した人物による文章である。回りくどい表現がある場合は、それが反論を喰らわぬための周到な伏線であり、補足説明を随所に加えるあたり、誰かを傷つけたり挑発する文章を書きたくない者にとっては参考になることだろう。前出のとおり「三兄弟」に関する文章でも、最後のところに全国の三兄弟への配慮の一文章を添えている。

 あとは「低姿勢であっても損しない」「謝る時はとにかく謝る」といった人間としての道理のようなものも説くなど、暴力論以外の見どころもある書だった。
(文=中川淳一郎/編集者)

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