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青木康洋「だれかに話したくなる、歴史の裏側」

NHK大河『直虎』は謎だらけ…実は男?女性説の根拠資料は信憑性乏しく誤伝多い

文=青木康洋/歴史ライター

 柴咲コウ主演の大河ドラマ『おんな城主 直虎』(NHK)が始まった。1月8日放送の第1回「井伊谷の少女」の平均視聴率は16.9%(ビデオリサーチ調べ、関東地区)。昨年、人気を集めた『真田丸』の初回平均視聴率は関東地区で19.9%、関西地区で20.1%だった。知名度の低い女性が主人公ということもあってか、比較的静かなスタートを切ったといえよう。

 主人公の井伊直虎は謎の人物である。こう言ってしまうと身もふたもないが、本当に女性だったのかどうかもわかっていない。「直虎が女性だった」という、ほとんど唯一の根拠は、江戸時代中期に記された『井伊家伝記』という書物にある「次郎法師は女にこそあれ」という一節だ。

 ドラマでは、井伊宗家のひとり娘が次郎法師という名で出家し、滅亡寸前の井伊家を守るために「直虎」という男の名前で女城主になるという設定になっている。だが、同書は誤伝が多く、信憑性に乏しい。

 昨年12月には京都府の井伊美術館による「井伊直虎は男だった可能性がある」という発表が話題となったが、もともと、井伊直虎はマニアックといえるほどマイナーで、相当の戦国通でもその存在すら知らない人が多い。だが、今回のドラマがきっかけで新史料が発見され、実像が明らかになる日が来るかもしれない。実際にそんな先例がある。

 昭和44年(1969年)のNHK大河ドラマは、戦国時代が舞台の『天と地と』だった。これを視聴していた北海道釧路市在住の主婦が、先祖伝来の書状が自宅にあることに気づき、調査を依頼した。すると、書状には「山本菅助」という名の武将名が記されていたことがわかったのだ。

 歴史に詳しい方なら、甲斐の戦国大名・武田信玄の配下に「山本勘助」という名の軍師がいたことをご存じだろう。それまで、山本勘助は実在が疑問視されており、学会では完全に「フィクション」とみなされていた。しかし、この書状の発見によって、実在説がにわかに活気づいたのだ。現在では、少なくとも信玄の麾下(きか/旗本や家来の意味)に山本勘助と同名の武将が存在したことは確実視されている。

意外に強かった戦国時代の女性、7歳の女城主も

 戦国時代の女性といえば、一般的に「男に従い、養われるだけの存在」と見られがちだ。しかし、そういった夫唱婦随的な女性像は江戸時代に入ってから形成されたイメージだという指摘がある。戦国時代は、リアリズムの時代である。男であろうが女であろうが、実力のある者に家を差配させなければ滅亡を招きかねない。

 したがって、多くの武家では夫と妻は共同経営者のような関係だったようだ。有名なのは、前田利家の正妻・まつである。利家がある合戦に臨む際、兵があまり集まらなかったことがあった。このとき、まつは金蔵から金銀を取り出して利家の目の前でぶちまけた。そして、こう言い放ったという。

「普段から、兵を養う必要を私は説いてきたはずです。しかし、あなたは蓄財に気を取られてばかり。かくなる上は、金銀に槍を持たせて戦ったらいかがですか?」

 まつが、家中でかなりの実権を握っていたことを表すエピソードである。また、実際に「女城主」として名を馳せた例もある。

 九州を代表する戦国大名・大友氏の有力家臣だった立花道雪の娘・誾千代(ぎんちよ)だ。誾千代が道雪から家督を譲られたのは、天正3年(1575年)のこと。誾千代がわずか7歳のときだった。

 注目すべきは、道雪がきちんと正式な手続きを踏んで、主筋である大友家へも許可を求めて誾千代に家督を相続させている点だ。道雪が、この幼い姫にかけた期待の大きさがよくわかる。誾千代は、その6年後に立花宗茂を婿に迎えて城主の座を譲ったが、その後も宗茂とは距離を取り続け、宮永という地に住んだ。

 天下分け目の関ヶ原の戦いで、夫の宗茂は西軍に加担して敗れたが、勝利軍として加藤清正が乗り込んできたときにも、誾千代は一歩も引かずに対抗したといわれている。戦国時代に男顔負けの活躍をした女性は、少なくなかったのである。

織田信長や豊臣秀吉と同世代だった井伊直虎

 井伊直虎に話を戻そう。諸説あるが、直虎の生年は1530年代前半だったとされている。織田信長や豊臣秀吉と同世代であり、江戸幕府を開いた徳川家康より10歳ほど年上ということになる。

 この頃は、戦国時代の幕開けを告げた応仁・文明の乱からおよそ100年が経過し、各地の有力大名が出揃っていた。高校野球に例えるならば、地区予選が終了して甲子園での本戦が始まった時期といえる。

 直虎が生誕した頃、駿河では今川義元が異母兄との争いに勝ち抜き家督を継いでいる。また、甲斐の武田信玄が父・信虎を追放して当主になったのは、直虎が10歳を迎えた頃だ。さらに、織田信長の父・信秀が尾張で勢力を伸張し始めたのは、おそらく直虎が成人する前後であっただろう。直虎が生きたのは、戦国の世を彩った有名武将が軒並みデビューした時期ということになる。

 江戸時代、井伊家は徳川家の譜代筆頭となった。幕末には欧米列強との交渉を担った大老・井伊直弼を出したことでも有名だ。だが、そんな井伊家も戦国時代中期には井伊谷に拠る一介の国人領主にすぎなかった。

 当時、このように周囲を強敵に囲まれた国人領主は全国に星の数ほどいたはずである。そんなちっぽけな存在が、いかにして戦国の世を遊泳し、名家として存続することができたのか。そんなヒントを『おんな城主 直虎』が示唆してくれるかもしれない。今後の展開に期待したい。
(文=青木康洋/歴史ライター)

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