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「性に奔放すぎる」日本の歴史…売春で本番当たり前、多彩な性プレイも

文=福田晃広/清談社
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「性に奔放すぎる」日本の歴史…売春で本番当たり前、多彩な性プレイもの画像1吉原の遊女(明治時代)(「Wikipedia」より/Gryffindor)

 現代の日本は、「性」に関して不寛容といってもいい社会だ。不倫が発覚した政治家やタレントは世間から糾弾されてそれまでの地位や収入を失い、一般の夫婦間でも夫の風俗通いなどを理由に離婚に至るケースが少なくない。もちろん、いずれも当事者にとっては許容されるものではないが、最近は当事者外からのバッシングも過熱する一方だ。

江戸の性事情』(ベストセラーズ)の著書を持ち、江戸の人々の性に詳しい小説家・歴史評論家の永井義男氏は、「日本人が性に関して潔癖さを求めるようになったのは、歴史的に見れば、ここ最近の話です」と語る。

 江戸は、よくいえば性に奔放、悪くいえば野放図だった。現代とは性に関する意識に大きな違いがあるが、永井氏によれば、不倫や性風俗には共通点もあるという。現代日本人が知っておくべき、江戸の性事情を紹介しよう。

不倫=密通は当たり前、死罪になるケースも

 男女間の不倫が盛んで、発覚するとなんらかの制裁を受ける点は、現代も江戸も変わらない。永井氏によると、江戸では不倫のことを「密通」と呼んでいたという。

「密通がバレると、間男(夫のいる女性と性的関係を持った男)は、女の夫に7両2分の慰謝料を払って解決しました。この習慣を『内済』といいます」(永井氏)

 現代の不倫に比べると密通の定義は広く、正式な婚姻関係にない男女の性行為はすべて密通となり、法的に処罰の対象となった。ただし、処罰しようにも事例が多すぎたため、実際は密通で捕まることはなかったという。

 そこで、密通を解決する方法として行われていたのが「内済」だ。これは町奉行所を介さずに、当事者間で話し合ってことを収めるというもの。慰謝料にあたる「7両2分」は、当時の庶民にとってかなりの大金だったので、実際はもっと少ない金額で解決されることが多かったようだ。

 しかし、当時の身分制度である「士農工商」に抵触するケースの密通は、発覚するとただでは済まなかった。永井氏によれば、「たとえば、武士の家来と主人の奥さんとの密通がバレて、町奉行所の管轄事項になると、2人とも死罪になります」という。

 ただ、あまりに罰が重すぎることに加え、メンツを重んじる武士が家来に妻を寝取られたとあっては体面を保ちにくい。そこで、「なんらかの理由をつけて妻と離縁。家来も同様にクビにして、当事者間で密通自体を白紙にするのが当時のやり方」(同)だったそうだ。

 表面上は厳しい制裁を受けなければならなかったが、こうした数々の抜け道があったため、江戸では現代以上に男女間の不倫が盛んだったという。

風俗は“本番”が基本、紙くずより安かった街娼

 一方、性風俗はどうだったのだろうか。江戸では売春が合法だったので、売る側にも買う側にも、そして世間一般にも、売春に対する罪悪感や抵抗感はなかった。公娼と私娼を合わせるとかなりの数の遊女が存在し、現在とは比較にならないほど売春に寛容な社会だったという。

 サービス内容も、きわめてシンプルだ。現代は、ソープランド、デリバリーヘルス、ピンクサロンなど、業種によってサービスも異なるが、江戸はそうではなかった。

「江戸では“本番”が当たり前だったので、サービスの違いは基本的にありません。しかし、料金は営業形態によってピンキリです。最高級は公娼である吉原の『呼出し昼三』と呼ばれる最上位の遊女で1両1分。一番安かったのは、日が暮れてから道端に立つ“夜鷹”と呼ばれた街娼で、蕎麦1杯と同じ24文だったといわれています」(同)

 町人文化が発展した文化文政年間(1804~1830)の通貨制度や換算レートで考えると、1両は約6500文で、1分は約1625文。吉原の公娼と夜鷹の値段の間には、約340倍の開きがあったわけだ。

 ちなみに、江戸は全般的にモノの値段が高く、特に紙が貴重品だった。正確な量ははっきりしないが、天秤棒で担ぐような竹かご2杯分の紙くずが、およそ200文だったとされている。つまり、夜鷹を買うよりも紙くずのほうが約8倍も高かったのである。

 現代の性風俗もデフレ化が進んでいるが、江戸では遊ぶ相手を選ばなければ、とんでもなく安い料金で性風俗を利用することができたのだ。

江戸の男の憧れプレイは“肛門性交”?

 さらに、江戸には現代の成人男性向けビデオを思い起こさせるものも存在していた。一般的に、こうした作品は男の願望を映像にしたファンタジーともされているが、江戸で同様の機能を果たしていたのが「春画」だという。

「先ほど言ったように、性風俗のサービスは“本番”だけでしたが、江戸の人々の間では“肛門性交”も行われていたと思われます。これは、春画にも数多く描かれています。そうしたことから考えると、江戸の男たちにとっては憧れのプレイだったのかもしれません」(同)

 ほかにも、現代でいう「ディルド(擬似陰茎)」も「張形」という名前で存在していた。張形は、べっこうや水牛の角で製作され、その優美さや精巧さは「現代のものよりも勝っていた」と永井氏は語る。

 春画にも、女陰に張形、肛門に陰茎を挿入している姿を描いたものが多数残っており、江戸の人々がバラエティに富んだプレイを望んでいたことがうかがえるという。

 しかし、明治、大正、昭和と時代が移り、戦後の1958年4月1日には売春防止法が完全施行された。1618年に吉原の遊郭が営業を開始して以降、約340年間にわたって合法だった売春は違法行為となり、その後、「性」に関する世間の目はどんどん厳しいものになっていく。

 それだけに、江戸をよく知る永井氏は「最近は、性に対する意識が厳格になりすぎているのではないか」と危惧する。ただし、永井氏は江戸の性の寛容さを賛美したいわけではない。当時の資料を綿密に調べ、『江戸の性事情』では実質的に人身売買だった遊女の暗黒面についても語られている。

 日本人の性はどうあるべきで、今後どのように変化していくのか。不倫問題が世間を騒がせることの多い今、江戸の性事情は未来の日本人の「性」に多くの示唆を与えてくれそうだ。
(文=福田晃広/清談社)

清談社

清談社

せいだんしゃ/紙媒体、WEBメディアの企画、編集、原稿執筆などを手がける編集プロダクション。特徴はオフィスに猫が4匹いること。
株式会社清談社

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