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江川紹子の「事件ウオッチ」第87回

【麻生氏が武装難民の射殺に言及】政治の役割を蔑ろにして脅威を煽り、政治空白を作る安倍政権の罪

文=江川紹子/ジャーナリスト
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 麻生太郎副総理の発言が、またもや物議を醸している。朝鮮半島有事で大量の難民が日本に押し寄せた場合の対応について、講演でこう語ったという。

「武装難民かもしれない。警察で対応できるか、自衛隊の防衛出動か、射殺ですか。真剣に考えたほうがいい」

故意の「射殺」は違法行為

 確かに北朝鮮をめぐる情勢は、さまざまな事態を想定して、対応を準備しておかなくてはならない状況になっている。想定すべきことのなかには、クーデターが発生したり戦争となって、北朝鮮から人々が難民として流出する事態も含まれよう。多くは陸路で中国や韓国へと移動するだろうが、船で日本海を渡って日本にやってくる人たちもいるに違いない。

 その時、難民条約締結国である日本は、条約の趣旨に沿って難民を保護しなければならない。その際には、当然のことながら、一人ひとり検査をして、武器を所持している場合は武装解除させる。感染症などのチェックも行って、必要な場合は治療を行う。保護施設で衣食を提供する。他国が受け入れる者についてはその手配を、日本への定住を希望する者については手続きを進めるなど、やらなければならないことはたくさんある。そうしたすべてついて、あらかじめ真剣に考え準備するのは、まさに「政治の仕事」だ。

 朝鮮半島における歴史的な経緯を考えても、日本は難民たちに人道的な支援を積極的にしなければ、国際的な非難を浴びるに違いない。そんなことにならないよう、そういう事態になった時には日本が大いに汗をかくべき時だと、今から確保しておく必要があろう。

 ただし、そのために「武装難民」の「射殺」などという選択肢はありえない。警察官職務執行法は武器の使用を限定し、正当防衛や緊急避難などいくつかのケースを除いては「人に危害を与えてはならない」と定めている。故意を伴う「射殺」は、現行法規では想定されていない。麻生発言は、違法行為を選択肢に入れているところで、政治家の発言としては失格だ。

 日本の警察は、武器を持った被疑者が立てこもった場合でも、法令に従い、生きたまま身柄を確保し、司法の裁きを受けさせるよう努める。かつてのあさま山荘事件では、後藤田正晴警察庁長官の指示で、人質の無事救出と合わせ、犯人全員を生け捕り逮捕する方針が定められ、そのために時間をかけて作戦が展開された。警察は、殉職者やけが人などの犠牲を出しながら、人質を無事に救出し、犯人5人をすべて逮捕した。

 そういう歴史を重ねてきた現場の警察官に、麻生氏は違法行為を犯させようというのか。それとも、裁判などの司法手続をせずに、人を殺害する権限を警察官に与えようというのか。その後政界に転身し、中曽根内閣の官房長官などを務めた後藤田氏が存命であれば、麻生氏を厳しく叱責したことだろう。

容疑者「生け捕り」の意義

 ところが、ヨーロッパでテロ事件の捜査で、捜査機関が容疑者を射殺する報道を見慣れたせいか、今回の発言をめぐっても「自分や身内に危害が及ぶなら、なんとしてでも阻止しないと」などと、「射殺」に全然違和感を覚えず、麻生発言を無邪気に支持している人がかなりいる。

 他国の、しかも個別のケースについては、どういう事情があったのかわからないので言及しないが、一般的にはテロ事件であっても、容疑者を生きて捕獲できないのは、極めて残念なことと言わねばならない。それですばやく一件落着したように見えても、被疑者に法の裁きを受けさせることができなくなる。取り調べや裁判で共犯者や凶器の入手ルートなどの情報を得る機会もなくなる。容疑者が殉教者になったり英雄視されるのを許すことにもなる。

 日本の警察は、地下鉄サリン事件など大がかりなテロ事件を含め、組織的な犯罪をいくつも起こしたオウム真理教の捜査でも、第三者に殺害された幹部1名を除き、容疑のある全員を逮捕し裁判にかけた。これは、法治国家として誇るべきことと思う。裁判で死刑が確定したが、彼らからすれば、さっさと殺されたほうが楽だったかもしれない。けれども、そういう安易な道は日本では許されないことを明確に示した。教祖のていたらくも、法廷で多くの人が見るところとなった。それは、容疑者の段階で「射殺」などせず、生きて捕まえたからだ。

 北朝鮮からの難民に話を戻すと、そもそも日本にまで難民が押し寄せる事態では、金正恩政権が人々をコントロールできる状態ではなくなっているはずで、日本を攻撃する目的で大量の工作員に武装させて送り込む事態は、現実的には考えにくい。

 それでも、一定の武器を携えた者が難民に紛れ込んで、あるいはひそかにやってくる可能性は考えられるので、適切な警備体制がとれるように準備する。そして、現実にそういう事態となり、武装解除に従わない者がいれば、銃刀法や爆発物取締規則などの諸法令を使って対応すればよい。

 それなのに、麻生発言は「難民」に「武装勢力」をイメージする言葉をかぶせることで、人々に必要以上の不安を与えるだけでなく、難民に対する嫌悪感や恐怖、不安を生起させる。

 実際、「武装した難民が大挙して日本に押し寄せ、放っておくと日本人を殺害する」というイメージを膨らませ、「水際で射殺してでも食い止めなければ」と思い込んだ人は少なくないようだ。

 私のツイッターにも、今回の麻生発言が話題になった後、「武装難民が日本人を襲ってからでは遅い」「都市部や山岳に立てこもり、武器を持った難民が日本中を徘徊することになる」「自動小銃で武装されていたら交番の警察官程度では太刀打ちできない」などといったメッセージが、「いつまで平和ボケすれば気が済むのか」「パヨクの妄想だ」「お花畑もたいがいにしろ」「オウムのことを忘れたのか」などという非難と共に、山のように届いた。

衆院解散で政治空白を作る“矛盾”

 このような反応に、私は関東大震災の際、「朝鮮人が暴動を起こしている」「朝鮮人が井戸に毒を入れた」とのデマが拡大し、自警団などによって数多くの朝鮮人が殺害された事件を思い起こした。この時には、役所や警察、軍隊などもデマの拡散に一役買った。通信が途絶するなか、新聞も噂話を基に、実態のない「不逞鮮人」の暴動をまことしやかに報じた。

 それによって、「朝鮮人が襲ってくる」イメージが広がり、人々は自衛意識に駆られた。藤野裕子・東京女子大准教授の『都市と暴動の民衆史』(有志舎)は、朝鮮人殺害の裁判記録から被告人のひとりの、次のような供述を紹介している。

〈私は時々地震があるので2日の朝も私の家の前の空き地で家族の者等と避難していると、ここを通る焼け出されの人達が、「朝鮮人にこういう目に合わせられ、頼んで行く所もなく困った事だ」と言い、「水を飲ましてくれ」と言うので、水を飲ましたり、あるいは握り飯をやったりしましたが、そうこうする内に大部兵隊がやってき、『朝鮮人が爆裂弾を投げたり、綿に油をつけたものを家へ投げ込んで火災を起こしたり、日本人を殺したり悪い事ばかりするので、四ツ木橋方面で大分軍隊のために殺された」というような話があり、私はそれを真実と思い、今も鮮人が飛び込んで来るかも分からない、もしきたならば鮮人と格闘してもこれを取り押さえ、村の人や非難民のために害を除こう、手向かってきたならば殺してしまうと固く心に期しておりました〉
(カタカナをひらがなにし、「」を補うなど読みやすく書き改めた)

 幸いなことに、今の警察や自衛隊は、麻生氏よりはるかに自らの権力性に自覚的だと思う。昨今の災害時にも、外国人犯罪のデマが出回ったが、警察や自衛隊がそれに惑わされて外国人を抑圧したという話も聞かない。

 しかし、一般人の多くが、難民について恐怖や嫌悪感などのネガティブなイメージを抱き、拒否的になれば、難民受け入れはうまくいかなくなる可能性がある。難民と人々との間にトラブルも起きるだろう。そうなれば、日本は国際的な批判を浴びかねない。

 ただでさえ、北朝鮮の核・ミサイル開発で多くの人々が不安を感じている。政治家たるもの、むやみに不安を煽って問題の種をばらまくべきではない。事実は淡々と伝え、その一方で戦争を回避するために、どうか最大限の力を尽くしてもらいたい。

 ところが、今の政権がやっていることはどうか。

 安倍晋三首相は国連演説で「必要なのは対話ではない。圧力だ」と言い切った。河野太郎外相は北朝鮮と国交のある160以上の国々に対して「断交」を求めた。そして、今回の麻生副総理の「武装難民射殺」発言である。

 こうした、やたらとマッチョな発言や態度からは、現政権がこの問題について力による解決を志向しているようにも見える。

 しかし、戦争となれば、在日米軍基地が攻撃されるなど、日本も戦場と化してしまう事態もありうる。北朝鮮の難民を受け入れる以前に、多数の日本人が犠牲になり、あるいは難民化する可能性も皆無とはいえまい。そのようなことにならないためにも、戦争を起こさない、という政治の役割が今ほど重要な時はない。

 戦争回避のためには、圧力をかけつつも、それによって北朝鮮を交渉のテーブルにつかせることを目指す重層的な外交が必要だろう。北朝鮮とパイプがある国々の協力を求め、あらゆるチャネルを利用して脅威を低減すべきだろう。それを、各国に「断交」を要求してどうするのか。

 そうした対応についての説明を聞きたくても、安倍首相は国会での論議を拒否し、衆議院解散を宣言してしまった。「北朝鮮の脅威はかつてなく重大で眼前に差し迫ったものだ」と言いつつ、1カ月もの政治空白をつくるのは、矛盾してはいないか。

 今回の麻生発言に関して、「言葉尻をとらえて批判するな」という意見もあった。だが、こういう事態だからこそ、私は感性を研ぎ澄ませて、政権幹部の発言の一つひとつに敏感でありたいと思う。
(文=江川紹子/ジャーナリスト)

江川紹子/ジャーナリスト

江川紹子/ジャーナリスト

東京都出身。神奈川新聞社会部記者を経て、フリーランスに。著書に『魂の虜囚 オウム事件はなぜ起きたか』『人を助ける仕事』『勇気ってなんだろう』ほか。『「歴史認識」とは何か - 対立の構図を超えて』(著者・大沼保昭)では聞き手を務めている。クラシック音楽への造詣も深い。


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