NEW
なぜ、「実力なし」「現場経験なし」の秘書出身経営トップが生まれるのか?

トヨタ、ダイキン、朝日新聞…企業を衰退に追いこむ側近政治の実態

【この記事のキーワード】

, ,

 しかし、渡辺氏はリーマンショック前から北米での在庫が膨らんで「黄信号」がともっていたのに、ブレーキを踏まず、自分の代に業績が落ちることを極度に恐れた。トヨタでは95年に社長に就任した奥田碩氏が海外事業を強化して拡大路線を取り、それが成功してトヨタは2兆円を超える利益を出したが、渡辺氏が社長に就任した05年頃には、兵站は伸び切り、品質管理も甘くなり、拡大路線を軌道修正する局面にあった。渡辺氏は、その決断ができなかった。軌道修正が遅れたために、トヨタの傷は深まり、経営の「低空飛行」は今でも続いている。

 プロ野球界では「名選手、名監督にあらず」という格言があるが、トヨタの渡辺氏の場合は「名参謀、名経営者にあらず」といったところだろう。

 三菱自動車でも、90年代前半にレジャー用車ブームで先鞭をつけ業績を拡大し、「天皇」と言われた中村裕一社長(当時)も後継者選びで失敗した。

 95年、「本命」と見られていた実力者の常務ではなく、経営企画を担当していた子飼いで側近の無名常務を社長に抜擢したが、その常務は社長の重圧に耐えられず、数カ月で体調を崩し、入社式にも出られず、わずか1年で社長を退任した。「社長の器」ではなかったということであろう。

 その頃から三菱自動車では米国でのセクハラ事件、総会屋への利益供与など不祥事が相次ぎ、極め付きはリコール隠し事件だった。社長もころころと替わり、業績は落ち込む一方で、今でもその「後遺症」に悩んでいる。三菱商事や三菱東京UFJ銀行、三菱重工業など「三菱村」が経営を支えて、なんとか生き延びているのが現状だ。

「ポチ」を後継者に据え、院政を敷いた東電、みずほ

 東京電力でも、社長・会長を務めた実力者の勝俣恒久氏が「院政」を敷きやすいように、自分より能力が低い清水正孝氏を後任の社長に選んだように映る。清水氏は福島原発事故の対応ではなんらトップとして責務を果たせず、いつの間にか消えていなくなった。

 システム障害をしばしば起こすために、金融庁や世間から厳しい目で見られているみずほフィナンシャルグループも、統合の母体となった旧富士銀行、旧日本興業銀行、旧第一勧業銀行出身の3トップが後進に道をなかなか譲らず、トップに居座り続け、顧問に退いた後も「院政」を敷きやすいように自分の「ポチ」を後継者に選んだ。その挙げ句、震災時にもシステム障害を起こしたことで、銀行の持つ「公共性」という使命を果たせなかった。

日経、朝日は、「実力のない」元記者が役員にずらり

 朝日新聞社でも「社長秘書役」が出世コースとなっており、役員待遇以上の顔ぶれを見ると、この役職を経験した人がかなりいる。日経新聞でも元社長の秘書が役員の中にいる。大手マスコミの中には、記者として編集者としてマネージャーとして実力もないのに、なぜか経営者に食い込み、実力とは不相応の地位にいる人材が少なからずいる。そうした人材は経営者が交代しても、また次の経営者に食い込んで要職に就く。マスコミ経営が苦しいのは、広告や部数の落ち込みといった外的要因だけではなく、こうした人材の選抜方法にも原因があるのではないか。

『企業参謀ノート・入門編 』 側近政治に陥る前に amazon_associate_logo.jpg
RANKING
  • 企業・業界
  • ビジネス
  • 総合