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2トップ追放の黒幕は、元「野村霞ヶ関出張所」の万年MOF担

野村、業務停止逃れた“実績ゼロ”元社長と金融庁の密約?

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 MOF担は各金融機関のトップへの登竜門であった。東京三菱銀行の畔柳信雄氏や住友銀行の西川善文氏は、頭取になる前に企画担当として大蔵省に出入りするMOF担だった。日本興業銀行の齋藤宏氏(後の、みずほコーポレート銀行頭取)は万年MOF担と呼ばれた。

 古賀氏も証券界の万年MOF担だった。2003年4月、野村HDの社長兼CEOと子会社の野村證券の社長に就任した。営業経験のないMOF担出身社長は、動こうにも動く術を知らず、みるべき実績を上げることができなかった。97年の総会屋への利益供与事件後、社長に就いた国際畑出身の氏家純一氏と、氏家氏からそのバトンを受けた古賀社長の時代は「縮みの10年」といわれた。社内には閉塞感が漂った。

 何もやれない焦燥から古賀氏はタバコの量が増え、チェーンスモーカーになったという。社長の最後の数カ月は、睡眠薬を使ってようやく眠りにつく状態が続いた。

 08年4月、渡部賢一氏が社長に就いた。社内では“ナベケン”で通っている財務畑出身の内務官僚だ。不可解なトップ交代に、一部では、密室でのクーデターと囁かれた。08年9月、渡部氏と柴田氏の経営コンビは、経営破綻したリーマン・ブラザーズの欧州部門を買収。内向きの野村の殻を破って、国際化路線へと強引に舵を切った。

 しかし、高額報酬で受け入れた元リーマンの社員の人件費がかさみ、金融庁幹部をして「リーマン買収後、野村はガタガタになった」といわしめるまでに経営が悪化した。営業現場のことは疎いが、元MOF担として当局とパイプをもつ古賀氏は、金融庁幹部と極秘会談を重ね、渡部、柴田の2トップ切りで事態を収拾する了解を取り付けた。渡部氏の首を差し出すことによって、業務停止命令から業務改善命令へと、処分が一段階軽くなったといわれている。

 それでは、古賀氏は野村HDのキングメーカーとして院政を敷くつもりなのだろうか。答えはノーだ。「古賀氏は元会長の鈴木政志氏と同じ役割を演じたいと考えている」と指摘する向きは多い。

 古賀氏がMOF担当時の97年、総会屋グループ小池隆一代表への利益供与が発覚して、酒巻英雄社長が引責辞任。会長だった鈴木氏が暫定的に社長を兼務し、米国法人トップの氏家氏を社長に起用すると、わずか1カ月で会長・社長を辞した。辞任の際に当時15人いた専務以上の代表取締役全員に辞表を提出させ、氏家新社長に対する影響力を排除した。

 過去の例から、一時期、古賀会長が暫定的にグループCEOを兼務し、後任のCEOに米現地法人のトップを務める吉川淳氏を起用する案が浮上した。

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