海外事業、既存店売上、後継者問題のカギとは?

“外資系企業”ユニクロ、そして柳井正社長の正体とこれから

――柳井氏が入られてから、小郡商事が急成長していきました。その理由は何でしょうか?

月泉 あのころはカジュアルというのはおしゃれ着で、デザイナーブランドなど高価なものだったわけです。それに対し柳井氏は、「カジュアルは普段着としてもっと手軽に着られるもの」と考えていました。当時、柳井氏は、たまたまカリフォルニアのスタンフォード大学の生協にフラッと入ったときに、廉価で割といいものを気兼ねなく買えるセルフ販売に出会い、そこにヒントを見いだしました。そして、消費者が雑誌を買う感覚で服を買うようなスタイルを突き詰め、それに近いかたちの店をどんどん出店して、伸びてきました。

 また、ユニクロ1号店では、ラジオで宣伝するなど、地方のメンズショップでは珍しい手法をとりました。当時は、多くの若者が深夜ラジオを聴いていた時代ですから、話題が話題を呼んで広まっていきました。販促とプロモーションのセンスを、もともと持っていたんでしょうね。

――しかしながら、96年ごろから成長が鈍り、停滞期になります。

月泉 郊外ロードサイド型のカジュアルファッションの店は、当時は珍しく、安いこともあり、まさに飛ぶ鳥を落とす勢いがありました。しかし、その勢いが落ちてきたひとつの要因は、いわゆる「チェーンストア病」というもので、どの店も金太郎飴のように、どこを切っても同じような店ばかり出店していたわけです。それまでは、チェーンストア化することにより、コストを抑えることでメリットがあったわけですが、それがあまりにマニュアル化、過剰適合してきたことで、消費者に飽きられてきたわけです。

空前のフリースブーム

――その後、数年は停滞が続いたわけですが、98年ごろからフリースが大ヒットして盛り返します。

月泉 停滞期の中で、柳井氏は抜本的に会社を変えようということで、外部からアパレル業界以外の優秀な人材を入れて役員を総入れ替えしました。新しい経営陣のもとで、拡販とプロモーション、メディアミックスを行ったことと、原宿への出店がフリースブームを巻き起こしたのだといえます。

 フリースは98年は200万枚、99年が900万枚、00年には2600万枚を売るという空前絶後の記録を打ち立てました。アパレル業界では、通常なら1年目にヒットしたら2年目は生産を抑えるのですが、フリースブームはアパレル業界の既存常識を持たない役員たちの判断があったからこそ実現できたと思います。さらに昨年、ヒートテックが1億枚売れ、自らの記録を破りました。まさに革命だったと思います。

――その後もユニクロは、小売り業界の勝ち組として、常に成長してきました。その理由は何でしょうか?

月泉 デフレを逆手に取ったことです。デフレに順応して国内でせっせと円を稼ぎ、その円をデフレがもっと強くし、円高でさらに強くなった円で原料調達や海外製造コストを抑え、海外企業を買ったり、アジアなど成長国家に出店しています。今勝ち組といわれているニトリやしまむら、ドン・キホーテなども同じです。ユニクロはその代表格なのです。つまり、「デフレでも、日本の消費者が豊かな生活を送れる」ということに気づかせてくれたのがユニクロだと思います。

日本で生まれた外資企業?

BusinessJournal編集部

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