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「【小説】巨大新聞社の仮面を剥ぐ 呆れた幹部たちの生態<第2部>」第40回

本社ビルにはバブリーな貴賓室 大手新聞社「不動産事業でも食っていける」

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本社ビルにはバブリーな貴賓室 大手新聞社「不動産事業でも食っていける」の画像1「Thinkstock」より
【前回までのあらすじ】
 業界最大手の大都新聞社の深井宣光は、特別背任事件をスクープ、報道協会賞を受賞したが、堕落しきった経営陣から“追い出し部屋”ならぬ“座敷牢”に左遷され、飼い殺し状態のまま定年を迎えた。今は嘱託として、日本報道協会傘下の日本ジャーナリズム研究所(ジャナ研)で平凡な日常を送っていた。そこへ匿名の封書が届いた。ジャーナリズムの危機的な現状に対し、ジャーナリストとしての再起を促す手紙だった。そして同じ封書が、もう一人の首席研究員、吉須晃人にも届いていた。旅行に出ていた吉須と4ケ月ぶりに再会し、吉須から例の封筒について話を聞こうと画策する深井だったが……

 大都新聞社は、日本を代表するクオリティペーパーと自認する最大手新聞社である。

 前身の「東都新聞」は明治5(1872)年、東京・日本橋で創刊された日本最古の新聞だ。明治半ばに大阪進出、「西都新聞」を発刊し、全国紙の体制を整えた。大正に入って、「東都」「西都」に分かれていた題字を「大都新聞」に一本化し、昭和初期に「日々新聞」を抜き、日本最大部数の新聞となった。戦時中は軍部の広報機関のような論調で、国民を戦争に煽りたてた。その路線が部数の拡大に直結、最大手の地位を不動のものにした。

 戦後は軍国主義路線への反省から左に急旋回、経営陣に共産党幹部が潜り込み、大労働争議が起きたりした。民主化を急ぐGHQ(連合国軍最高司令官総司令部)も、大都の変節を裏で支援し、“民主日本”を象徴するような存在となった。しかし、米ソが対峙する東西冷戦構造の確立で、GHQがレッドパージ(共産主義の追放)に動き、大都自体も再び右旋回。対米協調を前面に打ち出す論調に転換し、政権与党の保守勢力をバックに着実に部数を伸ばしていった。

 そして、平成3(1991)年のソ連崩壊に象徴される東西冷戦の終焉後は、米国の市場原理主義に同調、日本の米国化を推進する論調を鮮明にさせた。つまるところ、大都は機を見るに敏なだけで、一貫した“定見”はなく、鵺(ぬえ)のような存在なのだ。

 戦後日本でジャーナリズムをリードしてきたのは、基本的に全国に同じ紙面(記事)を提供する全国紙と呼ばれる大手新聞3社である。部数で見ると、長年、トップが大都、第2位が国民新聞社、第3位が日亜新聞社という順位が続き、それが大都にクオリティペーパーを標榜するのを許してきた。

 10年前までの部数は、大都800万部、国民700万部、日亜600万部で、5年くらい前までは、収益力の高かった大都と日亜の2社が新聞業界の“勝ち組”と喧伝され、第2位の国民は、一段格下にみられていた。

 しかし、5~6年前から大都と日亜の部数が落ち始め、1年前に大都が750万部を、日亜も550万部を割り込んだ。両社がその半年前にネット新聞を発刊し、それが紙媒体の部数を食った結果だった。その後も、ネット新聞へのシフトが止まらず、部数減少がさらに拡大するのは必至の状況になった。

 そんな中で、販売力の強い国民は700万部台を維持するどころか、部数をじりじり増やし始めたのだ。このため、第1位と第2位の交代が秒読みの段階になったのだが、大都の経営陣には危機感が薄かった。

 長年、部数トップの座に安住していたこともあるが、それだけではない。大都は、時の権力と常に近い関係を築き、全国各地の一等地に膨大な不動産を保有している。このため、今も大都の社内では「新聞事業が駄目になっても、不動産事業で10年は食いつなげる」という悠長な意見が公然とささやかれている。

 経済記者として赫赫(かくかく)たる実績を残した吉須の目からすれば、そんな大都にあって、難局に立ち向かえるような人材は丹野(顕雄)くらいしか残っていないように映っていたのだろう。

●豪勢な貴賓室のある本社ビル

 「丹野さんとはどこで会ったんですか」
 深井が吉須の顔をうかがうようにして聞いた。
 「さっきは大都本社ビルの近所って言ったけど、本当は本社の応接室さ」

 「大都タワービル」は地上25階、地下4階のオフィスビルである。地下2~4階が駐車場で、地下1階~地上10階までは賃貸スペース、地上11階から上が大都本社である。完成したのは5年前。昭和40年代に国有地払い下げで得た竹橋の土地に建てた本社ビルが老朽化したため、その土地と等価交換により取得した大手町の国有地に本社ビルを建設し、今や、大都の不動産事業の象徴になっている。

 「丹野さんもすごいな。吉須さんと会うのに本社ビルの応接室を使ったんですか」
 「丹野が言うには、外で会うより、あらぬ疑いを掛けられずに済むらしい。俺が日亜出身だなんて知っている奴、いないからな。ジャナ研の名刺が役に立つこともある」
 「そんなもんですかね」
 「セキュリティチェックが厳しくて、応接室に案内されるまで10分くらいかかった。大手金融機関だってもっと自由だ。新聞社はオープンじゃなきゃだめだぜ。堕落の象徴だな」
 「日亜だってそんなに変わらないんじゃないですか」

 10年前に新築した日亜新聞本社ビル「大手町日亜ビル」は、地上20階、地下3階で、日比谷通りを挟んで、大都タワービルの斜め前にある。地下2~3階が駐車場、地下1階と地上11~20階は賃貸スペース、地上1階~10階までを本社として使っている。新築の時期が10年前なこともあり、日亜本社への出入りもかなり自由だった。

 「そりゃあ、俺たちが入社した頃に比べたら厳しいけど、大都に比べたら、かわいいもんだぜ。それより、丹野に聞いたが、25階の最上階は“開かずの間”と呼ばれる豪勢な貴賓室らしいじゃないか。100人くらいのレセプションをやれる洋間や料亭並みの造りの和室、それに人工庭園、茶室まであると言っていたぞ。使うときは一流ホテルや高級料亭から料理人を呼んでくるんだそうだ」

 「そうらしいですね。実は、大都の新本社ビルには一度も行ったことがないんです。こっちに出向したあとですから、完成したのが…」
 「転籍しているわけじゃないだろ」
 「ええ、出向です。でも、給与など事務的な手続きは担当者が資料室に来てくれるんですよ。一応、元“大物記者”ですから……」

BusinessJournal編集部

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