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セコム、「もう一人の」創業者・生前インタビューから透ける、「共同起業」成功の秘密

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 急成長した企業で必ずと言っていいほど生じるのが、経営者と社員の軋轢である。自由を尊重し威厳のあるリーダーとともに歩んできた戸田氏は、「社員感情」を大切にした。例えば、セキュリティ業界では労働組合のない会社が少なくないが、セコムは日本警備保障時代に先駆けて労働組合をつくった。「会社は社員のために、社員は会社のために」を実現するには労働組合が必須であると考えたからだ。

●ソニー、ホンダとは違う点とは?

「二人の創業者」がいる企業は、役割分担を行う場合が多い。ホンダにおける、主に技術を担当し会社の顔になった本田宗一郎とその他を見た「女房役」藤沢武夫とのコンビ。本田氏はすでに経営者経験のあった藤沢氏を三顧の礼をもって迎えた。二人が経営の第一線を退いた時、藤沢氏は講演先で「社長は本田だったが、経営者は私だった」と話して笑いをとった。それを耳にした本田氏は決して怒らなかった。「そのとおりだ」とうなずいたという。

 ソニーも見事に創業者二人の役割分担ができていた企業だ。井深氏と盛田氏はどちらも大学は技術系の出身だったが、兵役中に知り合った盛田氏は兄貴分の井深氏を「天才的技術者」として尊敬していた。創業期においも早くから、井深氏は技術、盛田氏は主に営業を担当し、さらに国際ビジネスマンとして飛躍する。

 これら2社の「二人の創業者」は、お互いを認め合っていた。セコムの飯田氏と戸田氏は出会いも関係性も異なる。創業期は飯田氏と戸田氏はともに、靴の底をすり減らし飛び込み営業に奔走した。その後も、きっちりと役割分担を行ったわけではない。ケースバイケースで、その時々の仕事をこなしていた。

 だが尊重し合う点は類似している。「飲み友達だから」(飯田氏)と言いながらも、親しき仲にも礼儀ありを貫いていたようである。飯田氏に「売れっ子漫才コンビでも別れることがありますが、厳しい経営をやりながら、よくけんかしませんでしたね」と冗談半分に言うと「けんかなんかしたことがない」と答えた。「その秘訣は」とさらに問い詰めると「戸田さんが我慢したんだろうね」と、いつもの通り飯田氏は自虐的だ。戸田氏も「飯田代表が寛大だったんでしょう」と立てていた。

「二人の創業者」が、お互いに褒め合う。至らぬところはこちらにある、と一歩引く。長く続く親友の関係、経営パートナーの関係を築く上で「二人の創業者」から学べることは多い。その基盤になっているのは、20代に二人で夢見た「青雲の志」であり、その後苦労を共にした刎頚の友という絆だ。合理性だけでは説明できない男同士の融和と緊張感が人生を極めた男の顔をつくったのだろう。飯田氏と戸田氏の表情、しぐさに、美しさを感じるのは私だけだろうか。グループ企業の社長は「飯田代表は歌舞伎役者みたいでしょう」と話していた。それはジョークではなく、身ぶり、話し方、その他もろもろの点で強いリーダーの存在感を感じるという。戸田氏は飯田氏に名歌舞伎役者を演じさせた黒子であると見た。戸田氏の表情には、セコムという組織の中で自ら規律を課し、飯田氏とともに働いた喜びが映し出されていた。

 20代の飯田氏と戸田氏が並んで颯爽と歩いている創業時の写真を見ると、青雲の志を抱く血気盛んですがすがしい起業家(共同創業者)の顔がうかがえる。筆者は成功した企業家が写った創業時の写真を見る機会が少なくない。それらに共通しているのは、創業期に見せる創業者および創業メンバーの溢れんばかりの笑顔だ。こんな笑顔が一生続けば、病気などしないのではないかと思えるほど人間の健康的な一面がクローズアップされている。戸田氏亡き後、快活そうな笑顔は、二人だけでなくセコムの大きな財産になっていることだろう。
(文=長田貴仁)

【注】文中の戸田氏の発言は、筆者が2012年に行ったインタビューに基づく。

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