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回転寿司最大手スシロー、なぜ成長鈍化&客数減?大株主交代と人材流出で迎えた岐路

福井晋/フリーライター
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回転寿司最大手スシロー、なぜ成長鈍化&客数減?大株主交代と人材流出で迎えた岐路の画像1「スシロー」の看板(「Wikipedia」より/Hanasakijijii)
 回転寿司チェーン最大手の「あきんどスシロー」(以下、スシロー)は3月12日、「今春の新商品」を発表した。その中で、4月1日からサイドメニューに鶏がら醤油味のラーメンを加えると発売し業界関係者を驚かせたが、回転寿司チェーンの間では今、サイドメニューとしてラーメンや丼物を充実する「ファミレス化」の流れが強まっている。

 スシローの発表は「同社も売り上げをラーメンに頼らなければならなくなった。内実は相当苦しいのだろう」との憶測を呼んだが、実際、スシローの成長には陰りが見え始めている。2003年9月期以降、2桁増ペースで売り上げを伸ばし、11年9月期から13年9月期まで3期連続業界売上高トップと快進撃を見せてきたが、直近の13年9月期の売上高は前期比7.1%増にとどまるなど、業績が伸び悩んでいる。
 
 さらに深刻なのが既存店の売り上げ低迷だ。同社の公開資料を見ると、直近の13年10月度から14年1月度の4カ月のうち、12月度こそ対前年同期比0.3%増の横ばいを記録したが、他の3カ月は同比割れで、客数に至っては4カ月すべて同比割れになっている。

●現場叩き上げ社長とキャリア専務の名コンビ

 そんな中、同社№2の加藤智治専務が今年の2月、同社をひっそり退社していたことがこのほど明らかになり、業界内に同社の経営を不安視する見方が広がっている。加藤氏は東京大学大学院修了後、ドイツ証券、マッキンゼー・アンド・カンパニーなどで経営コンサルティングの腕を磨き、07年に投資ファンドのユニゾン・キャピタル(以下、ユニゾン)へ入社。その直後にスシローへ経営企画担当の社長室長として出向し、08年には同社へ転籍すると同時に専務取締役企画本部長に就任。12年からCOO(最高執行責任者)と営業本部長を兼務していた。特に09年からは豊崎賢一社長と二人三脚で同社の成長を引っ張ってきた、同社のキーパーソンとして知られている。

 現場叩き上げの豊崎社長が、インタビューなどで「旨い寿司を腹一杯になるまで食べてもらいたい」と職人気質の経営理念を語れば、その横で加藤氏が論理的に経営戦略を説明する呼吸の良さだった。さらに、10年5月に放送された経済ドキュメンタリードラマ『ルビコンの決断』(テレビ東京)を仕掛けるなど、PR戦略を積極的に展開し、知名度と好感度の向上にも辣腕を振るった。その効果は抜群で、11年9月期には1店当たりの年間売上高が3億円を超え、同年にカッパ・クリエイトホールディングスの「かっぱ寿司」(以下、カッパ)を追い抜き、年度ベースで業界首位に躍り出た。

 この頃から業界内では「スシローの経営を切り回しているのは加藤専務だが、戦略オプションが限られるスシローの経営に、ドイツ証券やマッキンゼーで派手な案件を手掛けてきた同氏が、いつまで我慢できるか」との懸念も囁かれていた。
 

●相次ぐ経営権めぐる攻防

 スシローは創業者の清水義雄氏が1975年に大阪市阿倍野区で開業した、カウンター型立ち食い寿司「鯛すし」がルーツ。その後、84年に義雄氏が大阪府豊中市に回転寿司チェーンの「株式会社すし太郎」を設立すると、88年に実弟の豊氏が吹田市に同業同名の会社を設立。99年に義雄氏の「豊中すし太郎」が豊氏の「吹田すし太郎」を吸収合併するまで両社は競合関係が続く。その後、00年に現社名へ変更、03年に東証二部上場と一見順調な成長を見せる。

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