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名門ユニチカ、なぜ経営危機に?遅れた非繊維の収益事業育成、30年の暗いトンネル

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 54年に大日本紡績は貝塚工場に女子バレーボール部を設立し、全工場から選手を集めた。これが日本女子バレー史に燦然と輝くニチボー貝塚である。258連勝という無敗を誇ったが、業績の悪化を受け、2000年に女子バレー部は廃部。選手は東レに移籍し、東レアローズに生まれ変わった。

 繊維産業は製鉄や石炭とともに日本の近代化を推し進めた基幹産業のため、繊維業界には老舗の名門企業が多い。1950年に勃発した朝鮮戦争によるいわゆる「ガチャマン景気」で繊維産業は息を吹き返した。ちなみに「ガチャマン」とは織機をガチャンと織れば、万のカネが儲かる、という意味で、現在の喫茶店のモーニングサービスは、ガチャマン景気に沸く繊維産地の商談の場から全国に広がったものだ。

 60年代には、東北や九州から中卒の金の卵が繊維工場に集団就職した。だが、景気が良かったのはこの頃までで、70年代半ばからは東南アジアからの輸入が増し、85年のプラザ合意による円高転換後、繊維は輸入が輸出を上回るようになり、国内の繊維産業は長い不況のトンネルに入った。

●競合他社は多角化に活路

 紡績発祥の企業は、繊維事業で蓄積した資産を使って多角化を推進した。日清紡は自動車用ブレーキで最大手になり、東洋紡は液晶用フィルムや医薬品などで収益を伸ばした。ダイワボウホールディングスはダイワボウ情報システムを子会社にして、IT(情報技術)主体に転換した。

 ユニチカもナイロンフィルムなど高分子事業に力を入れたが、繊維に代わる収益の柱を打ち立てられないまま、過去10年以上にわたり、業績が悪化するたびにリストラを繰り返してきた。「結果としてその場しのぎを繰り返しただけにすぎず、今回の経営危機でも同じことが続く」(証券アナリスト)との冷めた見方が広がっている。「名門」ユニチカの再生は、きわめて厳しい。
(文=編集部)

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