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「離陸」間近のホンダジェット、開発宣言から50年の舞台裏 “車屋”の発想による奇跡

文=片山修/経済ジャーナリスト・経営評論家
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●ゼロからの設計にトライ

 ホンダが秘密保持を解き、正式にホンダジェットのプロジェクトを始動したのは、97年のことである。

 私は、正式発表の翌98年、当時基礎研のエグゼクティブチーフエンジニアとして航空機エンジンの開発の先頭に立っていた故窪田理氏を取材した。大学で航空原動機を専攻した窪田氏は、86年の基礎研設置当時から航空機エンジンを担当しており、初期の開発ストーリーを聞くことができた。窪田氏らは、文字通り何もないところから、航空機エンジンの開発を始めた。ゼロからの出発だ。

「普通、まったく新しいことをやろうとするときには、よそでつくったものを買ってきてバラしてみることから始めるのが常道なのでしょう。しかし、われわれは、基本的には自分たちでゼロから設計することにトライしました」(窪田氏)

 いくら自動車のエンジンをつくっていても、航空機エンジンは技術的に格段の差がある。「他人のマネはしないこった」という宗一郎の考え方は、今もってホンダの理念といっていいのだが、それにしても無謀な話といえる。

 実際、最初の3~4年は、ひたすら回せば壊れるエンジンをつくり続けることになった。開発が軌道に乗り始めても、無鉄砲というか勇ましいエピソードは数知れない。秘密プロジェクトだというので、与えられた研究室は窓のない部屋だった。和光研究所内にある車用ガスタービンのための施設で、開発中の航空機エンジンを回したところ、衝撃のあまり建物の壁が吹き飛びそうになった。北海道鷹栖にあるテストコースに櫓を組み、航空機エンジンを吊るして回したら、爆音に驚いた旭川の自衛隊基地から、ヘリコプターが慌てて偵察にきた――。

 95年、米ロサンゼルスでボーイング727の古い機体に、開発エンジンを乗せて飛行テストをした。といっても、開発エンジンが727を飛ばしたのではなく、あくまで機体の一部分にくっつけて性能を調べたにすぎない。しかし、窪田氏ら開発者たちの喜びは大きかった。そして、前述したように97年に公式発表し、秘密のベールを脱いだのだ。

●“車屋”の発想

 一方、機体の開発を担当したのは、エンジン設計者の窪田氏とともに、開発開始当初から携わってきた藤野道格氏(ホンダの航空機事業子会社、HACI<ホンダ エアクラフト カンパニー>現社長)である。藤野氏は、東京大学工学部航空学科出身で、専門は空力である。クルマをつくりたくてホンダに入社したが、ジェット機開発に回されたのだ。

 藤野氏は、冒頭で述べたように、従来のビジネスジェットのほとんどが胴体後部に配置するエンジンを、主翼上面に配置する独特のデザインを考案した。機内空間を広くしたいけれど、エンジンを胴体後部につけると、胴体の内側にしっかりした支柱を通さないといけない。すると、客室が狭くなる。「エンジンが邪魔だな」と考えるうち、エンジンを主翼上部に配置することを思い付いた。彼は風洞試験を繰り返し、最適な配置、すなわちスイートスポットを見つけ出したのだ。これによって、空力性能が高まって燃費が格段に向上したほか、胴体後部のエンジン支持構造が不要になり、キャビンや荷室を広くできた。

 独創性はまた、機体デザインにも発揮された。従来、航空機のエクステリアデザインは空力設計者が担うため、多くのジェット機は円柱がすぼんだような似た顔になる。藤野氏は、空気の摩擦抵抗が少ない「自然層流ノーズ」の独自開発と同時に、デザインにもこだわった。デザイン重視は、“車屋”の発想といっていい。

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