セコム本社(「Wikipedia」より/Rs1421)
4つのプロペラを備えた無人機の重さは1.6キログラム。7つのセンサーとカメラを搭載しており、警備するエリアに設置されたセンサーが不審者の侵入を感知すると、無人機が自動飛行を開始。地上3メートル付近の位置から不審者が逃走するのを自動で追尾し、攻撃されそうになると空中に避難する。無人機は不審者の身長や服装、顔の特徴、車の色、種類、ナンバープレートの数字、GPSを用いた位置情報などを収集。それらの情報をリアルタイムにセコムのコントロールセンターに送信し、警備員が駆けつける仕組みになっている。無人機は情報収集を終えると、自動的にドック(駐機する拠点)に帰還する。
同時にセコムが開発しているのがウォークスルー顔認証システム。事前にシステムに登録している人の顔をコンピューターが瞬時に識別し、建物内の入退室を顔認証で管理するというものだ。あらゆる角度からの顔認証が可能になるため、歩いている状態でも識別できる。大勢の人が集まる場所でも顔認証を行える。セコムは小型飛行監視ロボットとウォークスルー顔認証システムを東京五輪に投入することを狙っている。
東京五輪招致委員会が発表した計画書では、五輪期間中のセキュリティ要員の数を約5万人としている。内訳としては、約2万1000人の警察官、約1万4000人の民間警備員、約9000人の警備ボランティアなどが会場周辺に配置される。東京五輪における警備上の最大の課題はテロ対策だ。東京はテロの標的になりやすい都市といわれており、セコムはITを活用した新技術でこれに立ち向かう。
●第1回東京五輪で飛躍
セコム飛躍のきっかけになったのは、1964年の第1回東京五輪だった。セコムの創業者で現・取締役最高顧問の飯田亮氏は61年、浅草の鳥鍋屋で学生時代からの友人、戸田壽一氏(現・取締役最高顧問)と欧州帰りの知人の3人で食事した。その席で知人から「欧州には警備を業務とする会社がある」と教えられ、飯田氏は独立し警備会社を設立することを決意した。
62年7月、国内初の警備会社、日本警備保障(現・セコム)が発足。飯田氏と戸田氏、2人の警備員の合計4人によるスタートだったが、仕事はなく、創業4カ月後に獲得した最初の契約は、東京千代田区麹町にある旅行代理店内の巡回だった。
そんなセコムは64年、第1回東京五輪で代々木の選手村の警備を受注し、一気に会社の知名度を上げた。65年4月から始まった連続テレビドラマ『ザ・ガードマン』(TBS系)のモデルになり、セコムは一躍人気企業に。警備サービス業というニュービジネスが社会に認知された。創業以来、二人三脚で歩んできた飯田氏と戸田氏は97年、取締役最高顧問に退いた。