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富岡製糸場の世界遺産登録、ある企業がもたらした“奇跡” 操業停止後も巨額費用で保存

文=編集部
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 その原が亡くなった1939年、日本最大の製糸会社であった片倉製糸紡績(現・片倉工業)が富岡製糸場を合併した。

●18年間にわたり保存し続けた片倉工業

 片倉工業は富岡製糸場ができた翌年の1873年、長野県川岸村(現岡谷市)で片倉兼太郎が創業。10人ほどが手作業で製糸を始めた。95年には片倉組を設立し、片倉製糸紡績(1920年)を経て片倉工業となり、20世紀半ばには日本最大の製糸会社となった。

 兼太郎は隣接する群馬県で、最新技術を導入した近代化の象徴だった富岡製糸場への強い憧れがあった。官営だった富岡製糸場が払い下げられた後、何度も買収を試みたが失敗。39年、ようやく経営権を獲得した。富岡製糸場の買収に執念を燃やしていた初代兼太郎は17年に亡くなっており、片倉が富岡製糸場を買収する晴れの日に、立ち会うことはできなかった。

 富岡製糸場は戦中・戦後と長く製糸工場として活躍してきたが、海外製の安価な生糸に押され、87年3月に操業を停止。製糸工場としての115年の歴史を閉じた。

 操業停止後も片倉工業は05年に富岡市へ富岡製糸場を寄贈するまでの18年間、「売らない、貸さない、壊さない」の方針で巨大工場の保存に尽力してきた。維持・管理費は年間1億円以上にも上ったが、株主からの批判はなかった。

 片倉工業の地道な努力で操糸場、東・西繭倉庫、外国人宿舎(女工館、検査人館、ブリュナ館)等の主要建物(国指定の重要文化財)は、専門家が「奇跡的」と評する保存状態を維持している。明治政府がつくった官営工場の中で、ほぼ完全な形で残っているのは富岡製糸場だけだ。世界文化遺産登録により、富岡製糸場は半永久的に残っていくことになる。同時に片倉工業の名前も、歴史に名を連ねることとなった。
(文=編集部)