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最近話題の日亜化学、どんな会社?ノーベル賞受賞技術で急成長、開発者の中村氏と法廷抗争

文=編集部
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 英治氏は徳島大学工学部を卒業し、60年、新三菱重工業(現・三菱重工業)に入社。65年に郷里の阿南市に戻り、日亜化学に入社し、信雄氏の長女と結婚。婿養子となっていた。

 ちなみに徳島大学工学部の卒業生が技術陣の多数派を形成していたが、経営陣は三菱グループの出身者が占めていた。英治氏のほかに、息子で次期社長有力候補の小川裕義・代表取締役副社長 (第二部門部門長)は三菱電機出身、田崎登・代表取締役副社長(総合部門部門長海外事業本部長)は三菱化成(現三菱化学)の出身者である。

 社長に就任した英治氏は製品化の見込みがないと判断し、青色LEDの開発の中止を命じた。中村氏は青色LEDの開発がダメなら会社を辞めてもよいと腹をくくって会社の命令を無視し、上司から届けられた開発計画変更書をゴミ箱に捨て続けた。

 そして中村氏は周囲の反対に背を向けるかたちで開発を進め、92年3月、青色LEDの製造装置に関する技術を確立し、日亜化学が特許出願した。「404特許」と呼ばれるもので、その後、この特許をめぐって中村氏と同社が対立することになる。日亜化学は93年11月、今世紀中は困難といわれていた青色LEDの製品化に成功したが、中村氏が手にした会社からの報奨金はわずか2万円だった。

 中村氏は青色LEDの開発で国際的な技術賞を多数受賞するが、日亜化学は命令を無視した中村氏に社内で居場所を与えず、99年12月、中村氏は同社を退社。そして、「君はノーベル賞を獲るべきだ」と評価する米カリフォルニア大学サンタバーバラ校総長の招きで同校工学部教授に就任した。

 米国に移住した中村氏に、日亜化学は追い打ちをかけた。特許技術をライバル企業に流出させたとして、企業秘密漏洩の疑いで中村氏を提訴。発明の対価がわずか2万円と聞いた米国の研究者仲間から「スレイヴ(奴隷)」と呼ばれていた中村氏は、同社に反撃を開始する。404特許の特許権帰属確認と200億円の譲渡対価支払いを求めて同社を提訴したのだ。

 04年1月、東京地裁は発明の対価を604億円と算定し、日亜化学に対して200億円を中村氏に支払うよう命じた。日亜化学は直ちに控訴。東京高裁は和解を勧告し、05年1月、日亜化学が遅延損害金を含めて8億4000万円を中村氏に支払うことで和解が成立した。中村氏は帰国の可能性について「それはない。仕事はこちら(米国)でと決めている。裁判も決め手になった。大勝したら日本に残ろうと思っていたが、そうならなかったので米国に移った。この選択は間違っていなかった」と語っている。

●高収益企業への変身

 日亜化学は青色LEDの製品化に成功して以降、急成長を遂げてきた。現在の主力製品は青色LEDと蛍光体を組み合わせて製品化した白色LEDであり、携帯電話のバックライトや車載照明などに使われている。LED関連商品で利益の大半を稼ぎ出し、白色LEDのシェアは世界1位だ。

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