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高井尚之が読み解く“人気商品”の舞台裏(1月21日)

ブーム発祥地・アメ横の驚異、一日十数万人を集客し続ける秘密 JRとの死闘と共存

文=高井尚之/経済ジャーナリスト・経営コンサルタント
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 もともと衣料品食料品などの販売店が入居する同ビルだが、放送が終了した現在でも、ビル内の劇場で全国各地のご当地アイドルのコンサートを開催している。
 
 こうした話題性は、アメ横の歴史の始まりから今日まで受け継がれている。甘いものが貴重品だった戦後の食糧難時代に芋飴が話題となって多くの人々が押し寄せ、クチコミで評判が伝わり、メディアが報道するようになった。

●新しもの好きだが、急激な再開発は反対

 戦後70年近い歴史の中で、アメ横は商店街の性質を徐々に変えてきた。そのため年代によって同商店街へのイメージが異なるかもしれない。かつては食料品店が大半で「店舗数も現在より多い500店ほどある中、約300店が食料品店でした」(同)。

 衣料品店も商店街の看板の一つだ。戦後すぐに米軍の放出品を売り始めたDNAを受け継ぎ、この商店街からブームが始まった衣料品も多い。その代表が「MA-1」と呼ばれる米軍のフライトジャケットだ。ミリタリーショップとして有名な中田商店が売り出し、1980年代に人気に火がついた。

 同時代にウエスタンブーツがはやった時期は、渋谷などではなくアメ横に買いに来るのが当時の若者の間で知られていた。

 中年以上の女性では、欧米の輸入化粧品に思いを寄せる人がいるかもしれない。70年代や80年代、日本にいながらにしてこれらの化粧品が割引価格で買えたのはアメ横だった。

「常連客は、細い路地裏の店で掘り出し物を探す『宝探し』感覚で利用されていました」と振り返る二木氏。宝探し感覚は、現在の中古品人気にも通じるものだった。

 こうした新しもの好きなアメ横だが、急激な再開発に対して反対運動を繰り広げてきた歴史は、あまり知られていない。特にバブル期に上野駅に持ち上がった高層ビル化計画では、「街に人が回遊しなくなる」と猛反発が起きた。「上野駅を高さ300メートルの超高層ビルに建て替える計画があったのです。この時は先輩商店主たちが猛反対をして、バブル崩壊とともに計画が立ち消えとなりました」(同)

 その後、JR側も再開発方針を見直し、現在の上野駅構内には商業施設「アトレ」や「エキュート」がある。これにも警戒する声が上がったが、共存共栄の視点で受け入れた。

 ただし、アメ横をはじめとする上野地区の各商店街とJRなど鉄道事業者とは、対立軸の関係ではない。「上野を支える三本柱の一つが『駅』ですから、定期的に関係者で会議を開き、本音ベースで課題や対応策を話し合っています」と二木氏は説明する。

 その昔、70年にテレビ番組『新日本紀行』(NHK)でアメ横を取り上げた際のタイトルが「ガード下の商魂」だったが、現在もしたたかな商人魂は健在のようだ。

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