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高井尚之が読み解く“人気商品”の舞台裏(2月12日)

「命の缶詰」工場、震災直撃から奇跡の復活…驚異の行動力と多角化、何千人の支援

文=高井尚之/経済ジャーナリスト・経営コンサルタント
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 津波で石巻港近くにあった木の屋石巻水産の缶詰工場も流失したが、流れてきたそれらの缶詰を拾って食べて、当面の空腹を満たした被災者もいたという。缶詰ゆえ、外見は汚れても中身の品質には問題がない。孤立状態が解消されて救援物資の食料が届けられるまで、まさに「命の缶詰」となったのだ。

 その後、ようやく水が引き、同社の従業員が工場のガレキを片づけ始めると、泥水の下に大量の缶詰が埋まっていることに気づいた。

「当時の工場在庫は約100万缶あり、残った缶を掘り出すことから自社の業務を再開しました」と木村氏は振り返るが、石巻ではまだ水道も電気も復旧していなかった。

 そんな中、いち早く取引先が動いた。東京・世田谷区経堂の居酒屋「さばのゆ」が、「泥つきでいいから缶詰を送ってほしい」と手を差し伸べたのだ。やがて石巻から缶詰が届くと、東京のボランティアの人たちが手洗いし、3缶1000円で販売した。

 この活動がテレビなどで報じられると、さらに支援の輪が広がった。北海道から沖縄まで全国の人たちが次々に同社工場を訪れて、ボランティアで缶詰を拾い洗ってくれたのだ。

 さらに紹介を受けて、木の屋石巻水産の従業員が千葉県や鳥取県などの「道の駅」に出向き、訪問客に販売した。包装がはがれた状態の裸缶でも、多くの人が購入してくれた。いつしか「希望の缶詰」と呼ばれた商品は25万缶が完売したという。

●冷蔵工場と缶詰工場を別々に建て、自社生産を再開

 筆者は震災11カ月後に現地取材したが、その際、まだ空き缶やガレキが残った本社工場前で木村氏は次のように語った。

「本当に何もなくなってしまって……。でも年配者は言うのですよ。『昔の海に戻った』と。昔は海岸近くに何もありませんでしたから」

 そう言い聞かせるように語っていたが、すでに同社は次々に手を打っていた。まずは震災翌月の4月に、「さばのゆ」の協力で世田谷区下北沢に「木の屋カフェ」を開店した。缶詰を使った料理も楽しめるカフェだ。石巻本社の活動が本格化したため同年内で店を閉じたが、店を切り盛りした従業員は新たな接客サービスも学んだという。

 木村氏の実弟で副社長の隆之氏は、関係者に働きかけて一般社団法人三陸海産再生プロジェクトを設立し、代表理事に就任。被災した漁業関係者を支援するとともに、漁業の未来を自分たちで切り拓く活動を始めた。法人会員・個人会員を設定し、一般からの寄付も募った。集まった資金は漁業再生の船舶・機械や設備購入などに活用され、会員や寄付者には三陸の海で獲れた海産物が宅配されている。仮設直営店で営業している時でも従業員は前向きで、入り口には「一生懸命に営業中」とのプレートを掲げていた。

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