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高井尚之が読み解く“人気商品”の舞台裏

『花子とアン』で話題のカフェ、100年生き残った秘訣 斬新な広告宣伝と身の丈経営

文=高井尚之/経済ジャーナリスト・経営コンサルタント
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 また、広告宣伝でも工夫を凝らした。

「当時のコーヒーは、一般の方にはなじみがありませんでした。そこでコーヒーの魅力を伝えるキャッチフレーズを考えたのです。それが『鬼の如く黒く、恋の如く甘く、地獄の如く熱き』というものでした」(同)

 このフレーズは、フランス革命期の政治家、シャルル・モーリス・ド・タレーランの言葉「よいコーヒーとは、悪魔のように黒く、地獄のように熱く、天使のように純粋で、愛のように甘い」を日本風にアレンジしたものだろう。だが、情緒的で商品へのイメージも湧く名コピーといえる。

 さらに、身長が6尺(180cm以上)の長身男性が燕尾服を着用し、シルクハットに白手袋という正装で紅顔の美少年を伴い銀座通りに立ち、このフレーズで通行人にコーヒー試飲券を配ったほか、盛装した妙齢女性が家庭を訪問して、コーヒーの淹れ方を伝授するなど、同店の宣伝方法は話題を集めたという。試飲券や割引券の配布は、現在でも各地のカフェで行われるが、当時はまだ珍しかった。

 こうしたさまざまな工夫や、当時の最先端メディアだった新聞社の時事新報社前という最高の立地もあって、店は大いに繁盛した。最盛期には1日に飲まれたコーヒーが3000杯とも4000杯ともいわれる。なお時事新報は福沢諭吉が創刊し、その後、慶應義塾大学出身者たちによって運営された当時の人気新聞だ。

 大正時代のカフェーパウリスタは大都市を中心に、国内は北海道札幌市から福岡県福岡市まで、さらに中国・上海へと店を展開していく。つまり日本で初めてのコーヒーチェーン店でもあった。

 こうしたパウリスタが果たした役割や、訪れた文化人の逸話などは拙著『カフェと日本人』(講談社現代新書)に詳しく記したので、興味をお持ちの方はご参照いただきたい。

2度の試練の後は、「身の丈経営」を続けた

 大正時代に隆盛を極めたカフェーパウリスタだが、本店は23年の関東大震災で倒壊。前年にブラジルコーヒーの無償供与の契約が切れたこともあり、チェーン展開を縮小する。昭和に入ると経済恐慌の波にも襲われ、その後は戦争が激しくなっていき都内で数店の運営を続ける一方、コーヒー豆の輸入・焙煎業を主体にした事業に切り替えた。

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