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『ムカつくことには合理性がある~若き老害・常見陽平が吠える』

なぜプロレスは八百長批判から解放されたのか?馬鹿みたいにやり続ければ常識になるの法則

文=常見陽平/評論家、コラムニスト、MC
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 90年代の全日本プロレスは、三沢光晴、川田利明、田上明、小橋建太による四天王プロレスの時代だったが、垂直落下式の過激な技を連発することにより、痛みに関する納得感、説得力のある試合をしていた。大仁田厚はFMWを立ち上げ、ノーロープ有刺鉄線電流爆破デスマッチなど、過激なルールのデスマッチを行った。邪道プロレスと言われたが、これはこれで、痛みを証明するものだった。

 やや余談だが、文藝春秋が毎年発売している『論点100』シリーズの第1号が出たのは92年だが、そこには「プロレスは今、面白いのか?」という論点が掲載されており、大仁田が寄稿している。ロープに振ったら戻ってくることについても、理解されるまでやるしかないなどの趣旨のコメントをしていた。

八百長という声を吹き飛ばした

 このように、90年代くらいまでのプロレスは、暗に八百長疑惑と戦っていたように思う。その後のプロレスはどうなったか。結論から言うと、見事に八百長という声を吹き飛ばしたように思う。もう、そういう議論自体、どうでもよいものになってしまった。個人的には、プロレスがさらに進化すること、多様化することにより、それを成し遂げたのだと思う。

 その一つは、プロレスリング・ノアのように、ますます過激なプロレスをすることにより、強さ、痛みを伝えていった流れである。三沢光晴が小橋建太に花道で放ったタイガースープレックスなどは10年以上たつにもかかわらず、いまだにファンの間で話題になる。ネット上では「ノアだけはガチ」という言葉も流行した。

 過激なプロレスだけでなく、華麗なプロレスというものもある。空中殺法はこの10年でさらに進化した。トップロープから場外に飛ぶ技は、ますます華麗になった。

 レスラーの肉体も鍛えぬかれたものになっていった(団体や、ファイトスタイルにもよるが)。新日本プロレスのエース、棚橋弘至選手の肉体などはすさまじいまでの鍛え方である。

 逆に、ファンタジーと言ってもいいほどのエンターテインメント性の方向に走ることで、八百長論をどうでもいいものにしたという流れもある。一時興行が行われていたハッスルなどはその典型だろう。最近は映像を駆使した演出なども増えてきた。

 冬の時代といわれたこともあったが、プロレスは、耐えた。気づけば、K-1もPRIDEもブームが去っていた。大規模な格闘技興行も、すっかり少なくなってしまった(もっとも、格闘技は競技人口が増え、小規模な大会が増えているのだが)。そして、プロレスブームがまたやってきたといえる。なんせ、新日本プロレスが人気だが、他の団体もがんばっている。プロレス女子(プ女子)なる言葉も生まれ、メディア露出も増え、ますます盛り上がりそうな予感だ。

●ショーだと宣言する日

 今後注目されるのは、団体自らが「これはショーだ」と宣言するのはいつだろうかということだ。「そんなこと、宣言するわけない」と誰もが思うだろう。ただ、時と場合によっては、そう宣言せざるを得ないこともあるのだ。

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