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【「月刊サイゾー」立ち読みサイト「サイゾーpremium」より】
――沼地だったド田舎の江戸を家康が開拓した――とはよく知られたストーリーだが、その裏には、家康のある“覚悟”があった!?戦国末期と江戸末期、なぜ“江戸”という土地が選ばれたのか? 江戸の歴史を踏まえて考える、ちょっとナナメな皇居ガイド!

日本の中心が東京だとすれば、東京の中心は皇居だろう。皇居とは、いうまでもなく天皇の住居である。住所表示は東京都千代田区千代田1番1号と、まさに東京都のド真ん中。総敷地面積約115万平米を誇り、豊かな自然溢れるその敷地内は、「都会のオアシス」的な観光スポットとしても人気を博している。近年はお濠の周りを走る「皇居ランナー」も急増中だ。
この皇居一帯は、徳川将軍家の居城である江戸城の跡地にあたる。言い方を変えれば、初代将軍・徳川家康がこの地に幕府を開いたことで江戸の町は大発展を遂げ、明治以降は京都に代わる新たな首都として天皇を迎えるに至ったわけだ。
家康入府以前の江戸はただの沼地で、そこを開墾し、埋め立て、水路を整え、それがのちの江戸、さらには東京の大発展に繋がった……とは、歴史に詳しい読者なら見聞きしたこともあるだろう。
では、なぜ家康は江戸を選んだのか?たまたま秀吉に転封されたから? 広大な関東平野の可能性を信じて? いやいや、そこに家康のある”覚悟”があったとしたら……? 本稿では、「なぜ江戸でなければならなかったのか?」「なぜ東京でなければならなかったのか?」という問いをひとつの批評軸として、東京の中心「皇居」のありようを、その礎たる江戸城からひもといてみたい。
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