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異業種からの学びが成功を生む?!靴メーカーを手本に、化粧品企業が驚異の売り上げを実現

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 中央大学ビジネススクールで、実践的なマーケティングやブランド戦略を教えている田中洋教授。6月11日からは、大学講座のウェブサービス「gacco」で、同ビジネススクールの「MBA戦略経営」が無料開講される。その田中教授に

・インターネットによるマーケティングの変化
・これからのマーケティングアプローチ
gaccoで無料開講される講義の内容

 などについて聞いた。

–田中先生の今までのキャリアや経歴について教えてください。

田中洋氏(以下、田中) 電通に入社したのが、1975年です。当時は全共闘(全学共闘会議)運動など学生運動の余韻があり、オイルショックに始まる戦後初めてのマイナス成長で、高度経済成長の終焉といわれた不景気な時代ですね。名古屋支社管内の四日市支局(三重県)で、まさにどぶ板営業をやっていました。地元の商店街、医院、映画館などを回って、新聞広告やテレビ広告を扱っていましたね。

異業種からの学びが成功を生む?!靴メーカーを手本に、化粧品企業が驚異の売り上げを実現の画像2田中洋教授
 当時の電通は「電話が壊れたので直してくれ」と一般の方から電話がかかってきたり、顧客から「お前の会社はストが多いぞ」と、某労働組合と間違えられたりして(笑)。まだ、おおらかな時代でした。

 その後、名古屋支社勤務を経て、79年から東京本社に勤めるようになり、媒体(新聞)の担当になりました。その頃電通では、新聞局というのは歴代の社長を輩出する花形部署でした。しかし、仕事に慣れた私は、ちょっと鬱屈していた時期でもあったので、どうにか環境を変えたいと考え、思いついたのが留学でした。電通には留学制度があったので、米国イリノイ州の南イリノイ大学カーボンデール校(SIU-C)の大学院に留学することになりました。それが83年のことで、ジャーナリズムについて学ぶ南イリノイ大学の「専門職大学院」でした。留学時代は一番勉強しました。最初の3カ月間、文字通り、毎日食事と風呂に入る時間以外は、ほぼ全部を勉強に充てていました。

 そして84年の秋に帰国後、配属を希望したのはCI(Corporate Identity)室でしたが、意に反してマーケティング局に配置となってしまいました。それまで花形の新聞局にいたこともあり、当時の私にはマーケティング局は傍流に見えて、ちょっと敬遠していました。今からみればとんでもない勘違いですが。

 マーケティング局では、ネスレやアメリカン・エキスプレス(アメックス)、ユニリーバ、IBM、現在のグラクソ・スミスクラインなど、外資系企業の担当になりました。96年4月に退職するまでの10年間ぐらいでしたが、そこでマーケティングに目覚めたのです。当時の日本企業は、一部の消費財系メーカーを除いて、本格的にマーケティングに取り組んでいる企業はまだまだ少ない時代でしたが、外資は進んでいました。80年代当時から、「ブランド」という言葉やその重要性を、彼らは知っていたのです。

BusinessJournal編集部

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