「Thinkstock」より
同じセクシー路線のタレント・壇蜜について橋本は、「頭の良さは負けてますけど、ボディーでは勝ってると思ってる」と強気でアピールしたり、自身の愛人キャラについては「実は愛人オファーがすごいんです。お金の交渉をされることもある」と大胆にも暴露している。あのビートたけしも、「『3人目の愛人にならない?』って電話番号聞いたり、空いてるマンションの部屋あるからと誘ったんだけど、なびいてくれなくてさ~」とぼやくほどだ。
今や大物タレントまでをも魅了する橋本だが、下積み時代は長く、生活にもかなり苦労したという。橋本の不遇時代に親交のあった男性(Aさん)が当時を振り返る。
「僕とマナミが知り合ったのは、今から8年前、あるファッションブランドのパーティーでした。マナミはケータリングのスタッフとしてドリンクを運んだりお客の接待をしていたんです。目立ってキレイだったので、『君、タレントっぽいね』って声をかけたんです。そうしたら『よく言われます。タレントになりたいんです』って答えたから、一般の女の子だと信じていました」
その当時橋本は、大手芸能事務所オスカープロモーションに在籍し、細々と女優業やグラビアなどの仕事をこなしていた。デビューのきっかけは、数多くの女優・タレントを輩出することで知られる「全日本国民的美少女コンテスト」で演技部門賞を受賞したため。しかし橋本は、同じ年に審査員特別賞を受賞した上戸彩の影に隠れてしまい、脚光を浴びることは少なかった。Aさんは続ける。
「マナミは当時、本名の細川を名乗っていました。ケータリングのアルバイトをしながらタレントを目指しているということだったので、芸能界に友人が何人もいる僕としては人脈を紹介しようと思い、マナミを色々なパーティーに連れ出していました。2007年4月に行われた安倍晋三首相主催の『桜を見る会』にも連れて行ったのですが、文化、芸能、スポーツ界の大物たちと間近に接して、少し緊張気味でした。ある芸能事務所の社長も参加していたので紹介しようとしたらマナミに拒否されたので、『なぜだろう?』と不思議でした」
それもそのはず、当時橋本が所属していたオスカーではアルバイトは禁止されていた。売れないタレントという身分を隠しながらケータリングのアルバイトをして、一般人として『桜を見る会』に連れてきてもらっていることが事務所にバレたら、橋本にとっては痛手となる。