NEW
浮世博史「日本人が知らなかった、ほんとうの日本史」

武田信玄の武勇伝、上杉謙信の美談は嘘だった?謙信、“利益のない”戦いをひたすら続けた謎

文=浮世博史/西大和学園中学・高等学校教諭
【この記事のキーワード】, ,

 それが証拠に一時期、謙信がしょっちゅう対立する地方有力者に腹を立て、ストライキや引退を宣言したことがあります。これには家臣・豪族たちは参りました。「共通の敵」と戦うには「共通の盟主」が必要です。謙信なくては国内はまとまらないことがわかっていたのです。みんな謙信に誓紙を差し出し、「申し訳ありませんでした」と頭を下げるハメになりました。

 関東に攻め入り信州に乗り込み、一見なんの利益にもならないのに謙信に率いられながら、越後の細かな利害対立を乗り越えて(忘れて)団結していくということが進行してきました。

 こうして、領土など増えなくても戦によってそれ以上の利益と団結を国内にもたらし、大車輪で活躍していた謙信は突然、倒れました。卒中であったといわれています。織田信長と戦うために出陣する前日だったとも、関東地方に遠征する前日だったともいわれています。

 そして、なんと謙信が死んだその日に、後継者争いである「御館の乱」が起こりました。共通の敵をつくって団結していた国の盟主が消えた瞬間、分裂が始まる。やはり越後は謙信がとっていた方法でなければ、まとめられなかったのでしょう。

 以下は謙信の言葉です。

「とにかく戦うのだ。その後どうなるかは問題ではない。目の前の戦い、一つ一つに勝っていくことが重要なのだ」
(文=浮世博史/西大和学園中学・高等学校教諭)

 

情報提供はこちら
RANKING
  • 連載
  • ビジネス
  • 総合