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熊谷充晃「歴史の大誤解」

銀座と新橋はかつて海だった!東西を結ぶ大動脈は、東海道ではなく中山道だった?

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東西の最短ルートは中山道?


 さらに江戸幕府は、東海道沿いに点在する河川の架橋を認めなかった。古今東西によくある例だが、交通の便をあえてよくないままにすることで、敵対勢力の容易な進軍を阻むなどの目的があったからだ。よく引き合いに出される有名な大井川をはじめ、旅人たちは、人足の手を借りなければ渡河することもかなわず、大雨が続いて増水でもしていれば、長いと数日は足止めさせられる不便をかこったのだ。

 こういった事情から、幕府による江戸市街と東京湾の大々的な改造がなされても、東西の最短ルートといえば、陸路に限れば中山道だった。

 その中山道を西から東へ下って途中から甲州街道に入ると、甲斐を通過すれば武蔵国。江戸の街はすぐそこだ。だから甲斐は幕府にとって最終防衛ラインとなり、その安全を保障するために是が非でも幕府が直接支配する地域でなければならなかった。

 もちろん、甲斐国は戦国時代から全国有数の金山を抱える国でもあり、経済的な側面からも重要性があったのは事実。しかし同時に、幕府が甲斐国を他人任せにせず直轄領とするのにこだわったのは、軍事的・政治的な理由があったのだ。

 現在の観点や知識で見てしまうとわかりにくいことも、視点を変えたりすると違った見え方を与えてくれる。だから歴史は奥深い。
(文=熊谷充晃/歴史探究家)

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