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こうして、駿府城は9回の火災に遭い、城はその都度再建を余儀なくされた。その影響もあり、当初予定していた巨大天守閣構想は縮小せざるを得なかったものと思われる。
度重なる火事に、家康はついに「鉛御殿」という屋根を鉛で葺いた建物までつくったという。現在のシェルターのようなものと思われるが、たびたびの火事は家康によほどの恐怖を与えたのだろう。
最終的に築かれた駿府城の天守閣は、寛永12(1635)年11月、城下茶町の火災により全焼、その後再建されることはなかった。
後に残った巨大天守台も、明治30(1897)年に大日本帝国陸軍歩兵第34連隊が城内に置かれたことから、兵営の敷地拡大のために本丸の石垣と共に壊されて姿を消した。
現在、駿府城では天守閣を再建する計画が進んでいる。在りし日の巨大な天守台が蘇る日も近いのではないだろうか。
(文=三池純正/歴史研究家)