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ノンフィクション作家 清泉亮インタビュー(2)

日航と航空機墜落の村、陰で罵声浴びせ合う現実 剥き出しの村民たちの私利私欲

取材・文=編集部
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–日航側と村民側のせめぎ合いなど、想像したこともありませんでした。

清泉 日航は尾根に関して、たとえ村民であっても一挙手一投足を管理したいというのが本音だと思います。しかし、村民の間には「いちいち山を知らない航空会社にお伺いを立てなければならないというのは受け入れられない」という反発も強いのです。

 日航にも当然、御巣鷹担当がいて、しばしば山に登っていろいろと整備をします。村の人間にそんな折にもいろいろと注文をしていくのですが、その後の村民の日航職員に対する口を極めた罵詈雑言は聞くに堪えません。「あの若造が……偉そうに……」など、まだいいほうです。どうしても企業は組織の論理と行動規範が身についていますから、日航の担当者からの言葉が年長者意識の強い村の掟の輪に投げ込まれると、潜在的な反発や波紋につながるのは致し方ないことなのかもしれません。

 一方の日航も「あの人は女性にばかり露骨に親切だ」「あれやれ、これやれと人使いが荒い」と、罵声とも揶揄ともつかない言葉を洩らしています。しかし、「遺族のために」という掛け声のもとでは、とにかく互いの齟齬や感情的軋轢を押し殺して、一枚岩を演出せざるを得ないのです。もちろん、人間の作業ですから、演出が絶対的な悪だということではありません。しかし、こうした感情的軋轢のストレスは日常の運営のさまざまな局面で微妙に露見してきます。

–具体的には、どんなことが露見するのですか?

清泉 たとえば、尾根の管理に携わる村人は、公益財団法人「慰霊の園」としてではなく、個人でマスコミを呼びたがります。あちこちの新聞社やテレビ局に「ネタがあるぞ、俺の写真を撮りに来い」と呼びかけるのです。

 事故の記憶を風化させないためという題目のもとには、メディアに報道してもらうことは必要でしょう。しかし、同時に村民個人を取り上げない取材の局面や、記者や取材クルーに対して、村民側が露骨に罵声を浴びせたり、無視してみたり、荒ぶってみせたりと、はたから見ていても嫌気が差します。一方で、テレビと新聞には個別にネタを提供するなど個人で手なづけようとし、反対に週刊誌の取材などには、村を通さないと取材には応じられないと胸先三寸で門前払いするという具合に、手慣れた広報マンさながらに巧みにあしらいます。

–広報マンですか……。逆説ではなく、本当に30年という月日が流れたんだなと実感させられますね。

清泉 村民自身への取材ではなく、遺族の取材のために山に上がって来た関係者には「勝手にやらせておけ」となる。そして、いったん自分に取材が向かってくると、カメラの前では満面の笑みで「どうぞどうぞ」と変貌する。自身が映ったテレビや、新聞記事をスクラップブックに丁寧に集めて、自身の趣味か、個人プレーが生きがいのようになります。

 あくまでも慰霊の園を守っているのは村民全体であり、個人ではないのです。しかし、個人プレーばかりを前面に出して、自身でマスコミを呼び、とにかくマスコミに露出することに腐心する村民がいるのも確かです。それはしかし個人の趣味でしかなく、遺族のためという本旨とはかけ離れています。

『十字架を背負った尾根』 まだ誰も目にしたことのない山深き慰霊の地が育む、四季という鎮魂の音色。山を守る人間とともに見つめた「御巣鷹の尾根」30年目の鎮魂の景色 amazon_associate_logo.jpg

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11:30更新
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