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武田鏡村「本当はそうだったのか 歴史の真実」

織田信長は「神を冒涜する悪魔」だった?キリスト教を利用し兵器生産

文=武田鏡村/作家、日本歴史宗教研究所所長
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信長がキリスト教を受け入れた理由

 また、信長キリスト教の宣教師と親しくしていたが、大友義鎮や有馬晴信、大村純忠らとは違い、信者になることはなかった。しかしながら、キリスト教の教義を理解していなかったわけではない。むしろ、教義を深く理解した上で、自らをキリスト教がいうところの「神」になぞらえたのである。

 信長と交友したポルトガル人宣教師のルイス・フロイスの『日本史』を読むと、フロイスの「信長を信者にしたい」という熱意がうかがえる。

 しかし、信長は晩年になるとフロイスの期待を裏切り、「自分は神である」と宣言、「自分を拝めば、富や長寿といったご利益がある」と豪語したという。もちろん、そんな信長をフロイスは「神を冒涜する悪魔」と糾弾している。

 信長はフロイスと18回以上、ほかの宣教師を合わせると40回くらい接見している。しかし、その関心は宣教師から教えられるヨーロッパの政治、軍事、船舶を中心とした知識、さらにはアフリカ、インド、アジアの地勢と統治のあり方だったという。

 信長はフロイスと初めて会った時、矢継ぎ早に以下のような質問を連発したという。

「ポルトガルから日本に来るには、どれくらいかかるか。また、距離はどれほどか」
「南蛮(ヨーロッパ)やインドから、手紙を受け取るのか」
「布教のために、日本にとどまるつもりか」

 それまでの日本人の世界認識は、唐土(中国)と天竺(インド)ぐらいだったといわれているが、当時の信長は、すでに人並み外れた認識を持っていたことになる。

 信長は、宣教師から贈られた地球儀を使い、彼らがどのように日本に来たかを尋ねている。そして、宣教師が先に足を運んだ国には、ポルトガルやスペインの軍隊が進攻して植民地化していることも察知している。

 信長が宣教師から得た知識のなかで、最も重要なのは「兵器」に関することであった。当時、鉄砲は徐々に活用されるようになっていたが、より重視したのが信長だ。武田勝頼軍と戦った長篠の合戦では、1000挺とも3000挺ともいわれる鉄砲を動員していることからも、それがわかる。

 さらに、大砲がある。宣教師が義鎮に贈った大砲をもらった信長は、当時の最先端の兵器に並々ならぬ関心を寄せ、さっそく大砲の製造に力を入れた。宣教師から伝えられた大砲は、ヨーロッパの軍船が搭載していたもので、「仏郎機(フランキ)」と呼ばれたものである。

 ヨーロッパの軍船に関する当時の記録には、「櫓は四十余本あり、鉄砲は三十四挺が配備され、漕ぎ手は三百人。銃は銅で鋳造され、大きな銃(大砲)は千斤の重さがあり、仏郎機と名づけたり」とある。