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武田鏡村「本当はそうだったのか 歴史の真実」

織田信長は「神を冒涜する悪魔」だった?キリスト教を利用し兵器生産

文=武田鏡村/作家、日本歴史宗教研究所所長
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最先端の船もつくっていた信長

 さて、琵琶湖にヨーロッパの軍船が航行していたことをご存じだろうか。信長は、岐阜城から京都に直行するために、琵琶湖に百挺の櫓を持つ巨大な高速船をつくった。これを見たフロイスは、「これはガレー船だ」と驚嘆するが、その船の構造を教えたのはフロイス自身である。

 ガレー船とは、オール(櫓)で漕ぐ軍船で、地中海で用いられていた。帆もあるが、あくまで補助的な役割で、人力で高速を出すものだ。大航海時代で大西洋に乗り出すようになると、オールもあるが帆走に重点を置くガレアス船となり、やがて全装帆船のガレオン船となる。ポルトガル人やスペイン人が、アフリカやアジア、アメリカ大陸に行き着いたのは、このガレオン船によってである。

 信長は、ガレオン船を大坂湾に浮かべている。本願寺に食糧を搬入する毛利水軍の火矢に敗れた信長は、鉄張り装甲の軍船を6艘つくらせているのだ。

 それを見たグネッキ・ソルディ・オルガンティノという宣教師は、「これらの軍船は、日本で最も大きく、ポルトガルの船に似ている。日本でこんなものがつくれたとは、驚くほかない。軍船には大砲を3門ずつ乗せているが、どこからもらったものかはわからない。豊後の大友氏が数門の小さな砲をつくった以外に、日本に大砲はないはずだ」と語っているが、前述のようにフロイスが教えていたのである。

 フロイスは、最先端の技術を教えることで信長のご機嫌を取り、キリスト教の保護者になってほしかった。その思惑通り、信長はキリスト教と宣教師を保護し、安土城下と京都に教会堂の建設を認めている。しかし、教理を勝手に変更して、自ら神を名乗るようになる。その点だけは、フロイスの思い通りにならなかったわけだ。

 ちなみにフロイスは、バチカンに提出するために、日本での布教の状況を報告する『日本史』を書いた後、長崎で亡くなっている。『日本史』には、日本の史料ではうかがえないような、信長の実像が鮮明に書かれている。もちろん、キリスト教とフロイスに不利になるようなことは書かれていない。
(文=武田鏡村/作家、日本歴史宗教研究所所長)

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