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その後、本丸の堀も埋められてしまったため、金箔瓦は長い間地中に埋もれていた。そういった推理ができる。
この金箔瓦の発見は、真田氏の時代の上田城が、現在とはまったく違う、金箔を施した瓦で屋根を葺いた、豪華な姿だったことを物語っている。
しかし、上田城を築いた当時の真田氏は、石高も3万5000石ほどで、とても大きな大名といえる存在ではなかった。その真田氏が、なぜこんな豪華な城を築くことができたのだろうか。真田氏の時代の上田城は、謎に満ちている。
真田氏の時代の上田城に天守閣があったかどうかはわからないが、金箔瓦が本丸西の堀から集中的に発見されていることから、本丸の西側には屋根が金箔瓦で葺かれた立派な建物があったことは確実だ。もしかしたら、それが天守閣だったのかもしれない。
この金箔瓦は、真田氏のもうひとつの居城であった群馬の沼田城からも発見されている。真田氏は、2つの城に金箔瓦を使用していたということだ。
(文=三池純正/歴史研究家)