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「立憲主義が権力者を縛るという解釈は古い」と公言する安倍首相を選んだのは、国民である

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 安保法制に反対する、学生を中心とする団体「SEALDs」の主張に対し、「『だって戦争に行きたくないじゃん』という極端な利己的考え」と発言してブログが炎上し、一躍時の人となった武藤貴也衆議院議員は、後々政治とは無縁のスキャンダルで自民党離党を余儀なくされたが、同議員は昨年12月の選挙においては、比例代表ではなく選挙区(滋賀4区)で6万票もの得票で当選している。

 滋賀4区の有権者数は約29万人。投票率は5割強でしかなかったとはいえ、6万人もの有権者が彼を支持したのだ。

 その武藤議員、当選したとたんに政治信条を変えたわけではない。少なくともブログを立ち上げた2011年以降は一貫している。日本国憲法の3大原理「国民主義、基本的人権の尊重、平和主義」は、3つとも「日本精神を破壊する」「大きな問題を孕んだ思想」だと、繰り返し主張し続けている。コラムニストの小田嶋隆氏は、「戦後政治どころか20世紀以降の人権思想の全否定」と総括している。

 有識者の多くは、ブログ炎上後の対応のまずさを含め、こういう人物を推薦した自民党の責任を問うているが、こういう人物を国政に送ったのは滋賀4区の有権者である。

「入れたい候補者がいないから投票に行かない」「投票に行かないことはノーということ」とは、選挙に行かない国民の責任放棄の言い訳でしかない。現行の制度上、投票に行かないという行為は「暗黙のノー」ではなく「黙認のイエス」以外の何ものでもない。

地元選出の自民党議員の顔を思い出せるか

 そこで我が身を振り返る。筆者自身、記者の仕事を始めたのは30代半ばである。さすがに記者の仕事をするようになってからは、欠かさず投票に行くようになったし、候補者の主義主張も一通りチェックして投票に臨むようになったが、それまではまったくといっていいほど選挙に行かなかった。票を入れたい候補者がいなかったからだ。

 積極的に入れたい候補者がいないということは、記者の仕事をするようになってからも変わらなかったし、今もそうだ。だが、選挙に行かないということは、黙認のイエスでしかないことに遅ればせながら気づき、とにかくこの人物だけは嫌だという候補者を除外し、自分の思想信条に照らし、一番減点が少ない候補者に票を入れるようにした。

 もっとも、それは記者になったからであって、それ以前のことを思えばとても選挙に行かない人や、候補者の思想信条を調べずに投票する人を批判する資格などない。だからこそ、「選挙に行かない=黙認のイエス」なのだということを、選挙に行かない人に自覚してほしいのだ。

今回の強行採決は、我々自身が国政に送り込んだ自民党議員たちの大半が、従順に党首の意向に従ったからこそ実現したことは疑いの余地がない。自民党の議員で反旗を翻したのは、筆者の知る限り、村上誠一郎衆議院議員(愛媛2区)ただ一人だ。

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