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中村芳平「よくわかる外食戦争」

ワタミ、危機を招いた鳥貴族らとの低価格戦争敗北と、「黒」へ転換による客離れ

文=中村芳平/外食ジャーナリスト
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 鳥貴族は1985年に東大阪で創業して以来、全品280円均一のメニューミックス戦略を試行錯誤して開発してきた。串打ちしたネギ付き1本90グラムのじゃんぼ焼鳥(2本=280円)、大ジョッキの「金麦」(280円)など、営業利益率を落とした顧客本位の商品力は、同業他社の追随を許さない。今期には関西圏、中京圏、首都圏だけで500店舗展開を達成する見込みだ。2020年の東京オリンピック前に1000店舗展開する方針だ。

 鳥貴族はワタミが出店している地域に好んで出店した。客層がワタミと同じ若い世代であり、競合しても商品力・サービス力・価格競争力など総合力で負ける心配がなかったからだ。

 ワタミは低価格・均一戦争に参戦し失敗した後、低価格路線とは一線を画した。創業者の渡邉氏は、ワタミの低価格路線に否定的だった。客単価3000円以上の路線に戻した。しかしながら、足下では鳥貴族をはじめ、エー・ピーカンパニーの「塚田農場」、SFPダイニングの「磯丸水産」など競争力の高い専門店ブランドが攻勢をかけ、市場は大きく変化していた。多様化、専門店化し、大衆的価格でありながら高品質化の特色ある商品が求められるようになっていた。

「黒・和民」への転換

 深刻な落ち込みにあえぐワタミを襲ったのが、11年3月に発生した東日本大震災であった。宴会需要などで潤ってきた大型の総合型居酒屋を直撃。企業は宴会を自粛し、予約を取り消した。個人やグループでも宴会や飲食の自粛が広まり、中小零細の居酒屋では資金繰りが悪化し、倒産するところも出てきた。

 ワタミは駅前や繁華街の一流立地の空中階で100坪以上、150~200席の大箱を運営することをビジネスモデルにしてきた。宴会需要や法人客需要も取り込んで成長してきたが、宴会予約の取り消しで大箱の店は軒並み苦戦した。

 そんななかでワタミは震災前から計画していたリブランディング(ブランドの再生)に着手した。11年3月に従来の和民である「赤・和民」を改装し、「黒・和民」(「JAPANESE DINING 和民 1号店」として中目黒店)を出店した。おカネと手間暇のかかるブランド再生のスタートであった。これがワタミの低価格・均一戦争に対する答えであった。しかしながら、この転換と値上げがワタミのコアの顧客離れを起こすのである。

「和民のような客単価3000円前後のリーズナブルなブランドを、『つぼ八』のFC時代から数えれば30年、和民(92年第1号店)になってから23年も続けるのは非常に難しい。数店しかないような老舗ブランドで、調理人の技術が伝承されるような格式のある店なら100年以上も続くことは珍しくないが、既存店のワク組みの中で和民をブラッシュアップしても、“賞味期限切れ”とでもいうべきか、継続するのには無理があったんだろうと思いますね。メニューその他を一新しても、1年もすると客離れが起こってしまうんですね」(関係者)

中村芳平/外食ジャーナリスト

中村芳平/外食ジャーナリスト

●略歴:櫻田厚(さくらだ・あつし)

1951年、東京都大田区生まれ。高校2年生の時に父が急逝し大学進学を断念、アルバイトして家計を助ける。都立羽田高校卒業、広告代理店勤務。72年に14歳年上の叔父(モスフードサービス創業者・櫻田慧)に誘われ「モスバーガー」の創業に参画。フランチャィズ(FC)オーナーなどを経て、77年に同社入社。直営店勤務を経て教育・店舗開発、営業などを経験。90年、初代海外事業部長に就任、台湾の合弁事業の創業副社長として足掛け5年半でモスバーガーを13店舗展開。1985年の株式上場と244店舗展開(16年9月末)、そして同社の海外展開の基礎をつくった。慧氏は97年にくも膜下出血で急逝、享年60。櫻田氏は98年社長に就任、14年会長兼社長に就任し、今年6月、社長を常務取締役執行役員の中村栄輔氏(58)に譲った。社長交代は18年ぶりのことだ。櫻田氏は中村氏に国内事業、新規事業を任せ、海外事業に全力を注ぐ構えだ。「モスバーガー」を世界のブランドにするという、夢の実現に向かって挑戦しようとしている。

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