NEW
連載
高橋篤史「経済禁忌録」

ソニー創業家の没落 創業者の長男に「特別背任疑惑」、事業の失敗連続で盛田家の資産枯渇

文=高橋篤史/ジャーナリスト
【この記事のキーワード】

, ,

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

 調査委設置から3カ月もたって不祥事が公表されたのは、適時開示違反の疑いさえあるずさんな対応といえる。その間、社内では英夫氏を庇い問題を表沙汰にしないような動きがあったのだろう。報告書は不祥事の発生原因のひとつに「“当主”意識」を挙げている。盛田家当主である英夫氏の意向がすべてに優先し、周りもそれを慮る傾向が強かったという。一連の責任をとり英夫氏は12月末には取締役を退任する方向だが、今回の問題はこの先、民事による責任追及はもちろん、刑事に発展する可能性も決して小さくはない。

失敗が続いた大型ビジネス

 じつは今回の事態は、ある程度予想されたものだったともいえる。すでに世間でも多くが知られているところだが、ここ20年の間、英夫氏が手掛ける大型ビジネスは失敗続きでソニー株をはじめとする盛田家の潤沢な資産の多くが失われてきたからである。

 盛田家は伊勢湾を望む常滑市小鈴谷で尾張藩の下、味噌や醤油、清酒づくりに励んできた名家だ。発祥は寛文5年(1665年)。当主は代々、久左エ門を襲名し、昭夫氏は15代、英夫氏は16代目の当主にあたる。もっとも昭夫氏は戦後に復員すると、地元の家業はそっちのけで上京し、故・井深大氏とともに東京通信工業(現ソニー)の立ち上げに邁進する。それを後押ししたのは盛田家の財力にほかならなかった。やがてトランジスタラジオなどで成功したソニーは、1970年にニューヨーク上場も果たし、誰もが知る世界企業へと羽ばたいていくこととなる。

 そうしたなか、英夫氏は一時、ソニーの社長候補とも目された。高校時代は英国に留学、その後、米カリフォルニア大デービス校に進み、帰国すると芦屋大学に入学、同大学院も修了し、25歳でまずは系列レコード会社のCBSソニーに入った。82年暮れにはソニー本体に転じ、周囲は当然、次代のリーダーとして期待した。

 ところが英夫氏は2年ほどでソニーを退社してしまう。転じた先は盛田家の家業だった。中核の「盛田株式会社」と資産管理会社「レイケイ」の副社長に就任したのである。15代目当主が不在の間、家業を守り育てていたのは昭夫氏の長弟・和昭氏で、いわば出戻った形の英夫氏はその下で16代目当主としてのイロハを学ぶことになったわけである。

 しかし、英夫氏がのめり込んだのは家業とは縁遠い大規模スキー場開発だった。新潟県新井市(現・妙高市)に本場の欧州を真似た贅沢な施設を整えたスキー場を建設し、93年冬に開業した。しかしバブル崩壊で赤字が続き、想定以上に建設費がかかったこともあり、経営はたちまち危機的状況に陥る。負債整理のため前出のレイケイは230億円相当のソニー株を放出せざるを得なくなった。

関連記事