
さながら、テロの季節である。
10月10日、トルコの首都アンカラで起きた自爆テロで103人が死亡。
10月31日、エジプトのリゾート地にある空港を飛び立ったロシア旅客機が墜落し、乗客乗員224人が死亡。ロシア当局は後に爆弾テロと断定した。
11月12日、レバノンの首都ベイルートで起きた2件の自爆テロで43人が死亡。
11月16日までに、イラク北部の町シンジャルで、虐殺されたヤジディ教徒のクルド人とみられる男女130人の遺体発見。イラクでは、7月17日に首都バグダッドの北東約30キロのハンバニサドで自動車爆弾を使った自爆テロで130人が犠牲になるなど、各地でテロ事件が相次いでいる。
11月13日、フランス・パリの劇場やレストランで起きた同時多発テロにより、130人が死亡。パリでは、1月7日にも諷刺週刊紙「シャルリー・エブド」襲撃やユダヤ系スーパーマーケット襲撃で17人が殺害されている。
あえて人生を謳歌する“テロとの戦い”
その後も、アフリカのマリのホテル襲撃で19人が死亡し、カメルーンやナイジェリアでも少女による自爆テロが発生。ベルギーでは、「極めて具体的なテロ情報があった」として、首都ブリュッセルのすべての地下鉄駅を封鎖する事態も起きている。
こうやって最近の主な出来事を列挙しているだけで、暗澹とした気持ちになる。次にどこで何が起きてもおかしくない。そんな不安や恐怖を感じている人もいるだろう。
テロに襲われた町では、なおのことだ。そんな中で、極力普通の生活を送り、自分たちの価値観を守ろうと努めている人々もいる。パリでは、静かに犠牲者を悼む人たちや緊張の中にいる人々の姿と合わせ、人生を楽しみ、自由を謳歌する価値観を守ろうと、あえて街に出て歌い、飲み、語らう人々の様子も伝えられている。
事件の直後には、最も多くの死者を出した劇場「バタクラン」の前に自転車でピアノを運び込み、ジョン・レノンの「イマジン」を演奏したピアニストがいた。事件から一週間後には、シャンソン界の大御所シャルル・アズナブールや著名バレリーナのマリー=クロード・ピエトラガラなどが「声を挙げ音楽を奏で、光を灯そう」と呼びかけた。そのメッセージはSNSで広まり、広場に集まった人たちが歌い、踊る姿もあった。
日本であれば、こうした行為は「不謹慎」「被害者のことを考えろ」「売名行為だ」などと非難・攻撃されかねない。それぞれが、自分のやり方で犠牲者を思い、テロには屈しないと自らを励ますことができるところに、フランスの懐の深さ、個の自由を尊ぶ文化的な底力を感じる。
こうした多様性を認め合う価値観は、テロを企てる者たちの独善的で不寛容な価値観と対極にある。人々が自ら勝ち取り、守ってきた「自由、平等、友愛」は、今も力強く脈打っているのだろう。
ただし、楽観はできない。フランスでは、髪を隠すヒジャブなどをまとっている女性が暴力をふるわれる事件も相次いでいるという。イスラム教徒らへの差別や狭量なナショナリズムが広がっているようだ。