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セーラー万年筆クビの前社長、過剰接待事件で大蔵省追放された元エリート官僚だった!

文=編集部

 復学後、中島氏は法学部に進み、1966年大蔵省に入省した。学生運動の活動家という前歴があれば門前払いを食うのが普通だが、後に国鉄総裁になる高木文雄氏が秘書課長として上級職を採用していたことが幸いした。「単なる優等生ではダメ」と考えた高木氏は、真に実力のある人材を求めていた。中島はお眼鏡にかない入省できた。

 高木氏が採用した大蔵官僚は「花の41年組」と称され、有能な人材を輩出した。同期のトップに位置し、三羽烏と並び称されたのが武藤敏郎氏、長野厖士氏、そして中島氏である。武藤氏は大蔵・財務事務次官、日本銀行副総裁などを歴任し、現在は2020年東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会事務総長だ。残る2人も大蔵省にとどまっていれば武藤氏と似たコースを歩いたことだろうが、過剰接待問題などで大蔵省を追われた。

転落

 中島氏は大蔵省のエリートコースである主計畑を歩き、1985年には主計局主計官として国家予算を動かした。事務次官候補といわれたが、海部俊樹氏と宮澤喜一氏の総理大臣秘書官を務めたことで過剰接待の泥沼にはまった。

 命取りになったのが、北海道拓殖銀行破綻を招いた大阪のノンバンク、イージーキャピタル・アンド・コンサルタント(ECC)の中岡信栄氏からの資金提供だった。元特捜検事・弁護士の田中森一氏は自伝『反転 闇社会の守護神と呼ばれて』(幻冬舎)で、「蕩尽王」と名付けた中岡マネーに群がる政治家、高級官僚、芸能人の生態を描いている。その中で中島氏の名前も出てくる。

<彼ら(大蔵官僚)にも例の現金入り封筒を渡していたことは間違いない。主計局次長だった中島に数千万円の現金を贈与したとしてマスコミで騒がれたが、それも事実だろう。彼らはみな、中岡のことを「会長、会長」と呼んでいた。傍から見ても、ずいぶん親密な関係だった。顧問弁護士の私にさえ、一日に何度もカネをくれるのだから、言わずもがなだろう>

 腐敗汚職官僚の烙印を押された中島氏は95年7月に大蔵省を退官した。京セラミタ(現・京セラドキュメントソリューションズ)専務、船井電機副社長などを経て、2009年3月にセーラー万年筆常務に就任。当時社長だった碓井初秋氏の死去に伴い、同年12月から社長を務めていた。

 だが、赤字経営が続き、セーラー万年筆の業績を浮上させることができず結局、解任されたわけだ。
(文=編集部)

BusinessJournal編集部

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