調査団は他メーカーとも話し合いの場を持ったが、社長や会長が顔を見せるのは最初の10分だけで、具体的な商談になると「課長が話を承ります」と言って部屋を出て行く。
「われわれと直接向かい合って真剣に話を聞いてくれた社長は、ミスタースズキ(当時社長)だけだった」(『俺は、中小企業のおやじ』<鈴木修/日本経済新聞出版社>)
これがインド進出の決め手となり、スズキは83年からインドで現地生産を始めた。初年度の生産台数は800台そこそこで、大手各社は「インド進出は勇み足」と冷笑した。ところがスズキはインドで大化けし、トップメーカーに躍り出た。
スズキの16年3月期の連結純利益は前期比24%増の1200億円となる見通し。従来予想を50億円下方修正した。VW株売却益367億円の計上が寄与したが、軽自動車と二輪車は苦戦しており、インド頼みの状況が続いている。
マルチ・スズキの15年4~12月期の四輪車の販売台数は前年同期比14%増の97万2000台で、通期でも10%増を狙う。マルチはインドの乗用車市場で4割強のシェアを握る。強固な販売基盤を生かしながら未開拓の農村への進出を急いでいる。
トヨタは97年にインドで生産子会社を設立したが、販売シェアは5%にとどまっている。そこで、マルチの現地販売網にスズキと共同開発した車を乗せて、インドでのシェア拡大につなげる青写真を描いているのだ。
15年4~12月期決算を発表したスズキ取締役の長尾正彦氏はトヨタとの提携交渉について、「(そうした)事実はございませんと言っている状況に変わりはありません」と述べた。「(スズキは)自分でどこまでできるか、足元固めに当分いそしみます」とした。
一方、トヨタによるダイハツ工業の完全子会社化については「大変なことになった。ますます、ふんどしを締めてかからないといけない」と危機感をあらわにした。長尾氏は決算発表という公式の席で「そうした事実はない」と言い切っているが、果たして本当なのだろうか。
肉親よりスズキを愛する
スズキでは15年6月30日、父から長男へと社長が交代した。鈴木氏の長男、鈴木俊宏氏が社長兼最高執行責任者(COO)に就き、鈴木氏自身は会長兼CEOとなった。株主総会からわずか4日後という異例の社長交代劇だったが、これはVWとの提携解消後を見据えたものといわれた。VWから買い戻した株を切り札として鈴木氏が提携交渉を仕切る。俊宏氏は経営の実務を遂行するという役割分担である。
しかし、俊宏氏の力不足がはっきりしてきた。軽自動車の「SD(スズキ・ダイハツ)戦争」では、トップの座を1年で明け渡してしまった。「集団指導体制」といえば聞こえはいいが、俊宏氏のガバナンスが見えてこない。
スズキはインドに救われている状況で、インド以外では販売台数を大幅に落とす懸念がつきまとう。インド以外でも成長を続けるには、トップを変えなければいけないかもしれない――。鈴木氏がこう考えたとしても不思議はない。
トヨタが20%の株式を握り筆頭株主になれば、トヨタから社長を招くこともあり得る。鈴木氏は人・モノ・カネをトヨタから調達する腹積もりだと見る向きも多い。
なぜこうした発想ができるのか。カリスマ経営者の鈴木氏は「肉親よりスズキ(会社)を愛している」からである。
(文=編集部)